日向の高鍋藩(宮崎県)の藩主・秋月家の次男として、江戸で生まれた。名は治憲。
出羽の米沢藩主・上杉重定の養子となった。学者の細井平洲を師としてむかえ、政治の心がまえを学んだ。
藩主となったが、米沢藩は大きな借金をかかえていた。自ら食事を一汁一菜とし、木綿の着物を着て倹約を進めた。
改革に反対する重臣たちが訴え出たが、きびしく処分して改革を続けた。
藩校を「興譲館」として再びおこし、身分に関係なく学べるようにした。
このころ、漆・桑・楮などを大量に植えさせ、米沢織などの産業をおこした。
天明の飢饉のとき、米をたくわえていたこともあり、米沢藩では大きな被害を防いだといわれる。
藩主を退き、次の藩主に「伝国の辞」を贈った。国や民は藩主のものではない、という考えが書かれている。
出家して鷹山と名のったが、その後も改革を見守った。「なせば成る」の歌が伝わる。
米沢で亡くなった。藩を立て直した名君として知られる。
伊能忠敬塙保己一司馬江漢蔦屋重三郎大黒屋光太夫喜多川歌麿最上徳内大槻玄沢
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。