相模の栢山村(神奈川県小田原市)の農家に生まれた。通称は金次郎。
酒匂川の洪水で家の田畑が流され、一家は貧しくなった。
父が亡くなり、13歳の金次郎が一家を支えた。
母も亡くなり、弟たちと別れて伯父の家に引き取られた。夜に読書をするための油を、自分で育てた菜種で手に入れたなどの話が伝わる。
捨てられた苗を植えて米をとるなど、小さな努力を積み重ね、田畑を買いもどして家を立て直した。
このころ、小田原藩の家老・服部家の苦しい家計を立て直し、評判となった。
小田原藩主の命令で、下野の桜町領(栃木県真岡市)の荒れた村の立て直しに取り組んだ。収入に合わせて支出を決める「分度」と、余りを人のために回す「推譲」を説いた。
その実績が認められて幕府に取り立てられ、各地の農村の立て直しを指導した。この方法は「報徳仕法」とよばれた。
日光の神領の村々の立て直しを命じられ、病をおして取り組んだ。
下野の今市(栃木県日光市)で亡くなった。生涯に600近い村の立て直しにかかわったといわれる。
間宮林蔵頼山陽広瀬淡窓会沢正志斎大塩平八郎渡辺崋山水野忠邦ペリー
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。