江戸の長府藩の屋敷で、武士の子として生まれた。
陸軍に入り、軍人の道を歩み始めた。
西南戦争で戦ったが、軍旗を敵にうばわれ、深く責任を感じた。
ドイツに留学して、軍の制度を学んだ。
日清戦争で旅順を攻め落とした。
台湾総督となった。
日露戦争で第三軍を率いて旅順を攻めた。多くの兵が命を落とし、二人の息子も戦死した。
旅順を落とし、ロシアの将軍ステッセルと会見した。相手の名誉を重んじたことで知られる。
学習院の院長となり、のちの昭和天皇の教育にもあたった。
明治天皇の葬儀の日に、妻の静子とともに自ら命を絶った。
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。