日本史人生シミュレーター

高木兼寛

海軍の食事を改めて脚気を防ぎ、慈恵会医科大学と日本初の看護学校を開いた
時代:江戸末〜大正時代 / 1849年〜1920年(71歳ほど)
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歩んだ道

1849年

日向の郷士の家に生まれる

薩摩藩の郷士高木喜助の長男として、日向国の穆佐、今の宮崎市高岡町に生まれた。通称は藤四郎という。郷士は農村に住む身分の低い武士で、暮らしは決して豊かではなかった。のちに生まれ故郷の宮崎では、ビタミンの父として紹介されている。

1868年

軍医として戊辰戦争へ

十代の終わりごろから、薩摩藩で西洋の医学を学んだ医師石神良策に弟子入りした。戊辰戦争が起こると、薩摩藩の兵とともに軍医として戦場に出た。傷ついた兵士を治療する中で、それまでの医学では救えない命が多いことを知り、西洋医学を本格的に学ぶ決意を固めた。

1870年

ウィリスに認められる

前の年に英語と西洋医学を学び始め、この年、薩摩藩がつくった鹿児島医学校に入った。校長のイギリス人医師ウィリアム・ウィリスにその力を認められ、学生でありながら教える立場に引き上げられた。イギリス流の、患者を直接みることを重んじる医学に触れたことが大きな転機となった。

1872年

海軍に入る

師の石神良策が海軍の医療をまとめる役所の幹部になると、その推薦で海軍の軍医となった。海軍病院で働くかたわら、病院や軍医の制度について多くの意見を出し、その年のうちに位も上がった。ここから、海軍の医療を背負う道を歩み始めた。

1875年

ロンドンに留学する

海軍病院の学校で教えていたイギリス海軍の軍医アンダーソンに認められ、その母校であるロンドンの聖トーマス病院医学校に留学した。ここで優れた成績を収めるとともに、ナイチンゲールの看護学校があるこの病院で、医療における看護の大切さを深く学んだ。

1881年

患者を第一とする医学を広める

帰国後、日本の医学がドイツ流の研究第一に傾いていることを心配した。そこで松山棟庵らとともに、病気ではなく病人をみるというイギリス流の考えにもとづく医学を学ぶ場として、成医会講習所を開いた。これがのちの東京慈恵会医科大学の始まりである。

1882年

貧しい人のための病院

東京の芝の寺に、お金のない患者を無料でみる病院として有志共立東京病院をつくった。院長には上官の戸塚文海を迎え、自分は副院長となった。勝海舟らの援助も受けた。同じころ海軍の医療の中心に立ち、兵士の間に広がる脚気の対策に本格的に取り組み始めた。

1884年

軍艦筑波の航海実験

脚気は食べ物と関係があると考え、軍艦筑波の遠洋航海を、食事を改めて脚気を防げるか確かめる実験とした。以前に脚気が多発した軍艦龍驤と同じ航路をとらせたところ、筑波では患者が大きく減り、亡くなる人は一人も出なかった。この実験は日本の疫学のはじまりとされる。

1885年

日本初の看護学校を開く

ロンドンで学んだ看護の大切さを形にするため、大山捨松らの婦人慈善会の支えも受けて、日本初の看護学校である看護婦教育所を開いた。同じ年、海軍軍医の最高位である軍医総監となった。食事を改める考えを発表したが、学界では賛成する人がおらず、反論ばかりを受けたという。

1888年

日本初の医学博士の一人に

日本で初めて博士の学位が授けられた際、その一人として医学博士となった。この年、看護学校からは皇后が出席する中で初めての卒業生五人が巣立った。海軍では食事の改革によって脚気の患者が激減しており、その成果は学界の反対を越えて形となって表れていた。

1892年

医局を退き臨床に立つ

海軍の医療をまとめる局長の職を退き、予備役に入った。その後も慈恵医院などで患者を診察し続け、貴族院の議員にも選ばれて、亡くなるまで務めた。医師の団体の会長なども歴任し、医療と教育の両面で社会に貢献し続けた。

1905年

男爵となる

長年の功績により華族に列せられ、男爵の位を授けられた。農村の身分の低い武士の家から出て、ついに華族となったのである。人々はその成功を称えた。一方で、脚気の原因をめぐっては、陸軍やドイツ医学を学んだ学者たちとの間で考え方の違いが長く続いていた。

1906年

世界に業績を伝える

アメリカのコロンビア大学や、母校のロンドンの医学校で講演を行った。その内容はアメリカやイギリスの医学雑誌に載り、食事を改めて脚気を防いだ高木の業績は世界に広く知られるようになった。のちにビタミンが発見されると、その先見性は一層高く評価された。

1920年

ビタミンの父の死

脳の血管の病気のため亡くなった。彼が開いた学校と病院と看護学校は、今も東京慈恵会医科大学とその付属病院、看護専門学校として続いている。南極には彼の名にちなむ高木岬という地名もある。病人を第一に考える医学の心は、今も受け継がれている。

この時代に起きたこと

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