何をした人?
明治・大正・昭和初期の細菌学者です。福島県の農家に生まれ、幼いころのやけどで左手が不自由になりましたが、手術で回復したことから医学を志しました。北里柴三郎の伝染病研究所を経てアメリカのロックフェラー医学研究所で研究し、梅毒の研究などで世界に知られました。黄熱病の研究中に西アフリカのアクラで亡くなりました。
| 名前 | 野口英世 |
|---|---|
| 生没年 | 1876年(明治9年) – 1928年(昭和3年) |
| 時代 | 明治〜大正時代 |
| 出身地 | 福島県耶麻郡三ッ和村(現在の猪苗代町) |
| 別名 | 野口清作(幼名) |
| 主な業績 |
|
福島県の猪苗代湖の近くの農家に生まれた。幼名は清作。
幼いころ、いろりに落ちて左手に大やけどを負い、指が開かなくなった。
左手の手術を受けて指が動くようになり、医学のすばらしさを知って医者を目指した。
東京に出て勉強し、医術開業試験に合格した。
北里柴三郎の伝染病研究所で働き、名を英世と改めた。
アメリカに渡り、ペンシルベニア大学のフレクスナーのもとで研究を始めた。
ニューヨークのロックフェラー医学研究所に移り、研究にうちこんだ。
梅毒の病原体を患者の脳から見つけ出し、世界的に有名になった。
日本に一時帰国し、母シカと再会した。
南アメリカのエクアドルに行き、黄熱病の研究を始めた。
黄熱病の研究のため、アフリカのアクラ(ガーナ)に渡った。
研究中に自らも黄熱病にかかり、アクラで亡くなった。
A. 明治・大正・昭和初期の細菌学者です。福島県の農家に生まれ、幼いころのやけどで左手が不自由になりましたが、手術で回復したことから医学を志しました。北里柴三郎の伝染病研究所を経てアメリカのロックフェラー医学研究所で研究し、梅毒の研究などで世界に知られました。黄熱病の研究中に西アフリカのアクラで亡くなりました。
A. 明治〜大正時代の人物です。1876年(明治9年)に生まれ、1928年(昭和3年)に亡くなりました。
A. 野口英世は福島県耶麻郡三ッ和村(現在の猪苗代町)の生まれです。
A. 野口は黄熱病の原因を細菌だと考えてワクチンを作りましたが、実際の原因はウイルスで、当時の顕微鏡では見えませんでした。確かめるために渡ったアフリカで自らも黄熱病にかかり、1928年に亡くなりました。
参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata
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