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野口英世

医学者・細菌学者
時代:明治〜大正時代 / 1876年〜1928年(52歳ほど)

何をした人?
明治・大正・昭和初期の細菌学者です。福島県の農家に生まれ、幼いころのやけどで左手が不自由になりましたが、手術で回復したことから医学を志しました。北里柴三郎の伝染病研究所を経てアメリカのロックフェラー医学研究所で研究し、梅毒の研究などで世界に知られました。黄熱病の研究中に西アフリカのアクラで亡くなりました。

プロフィール

名前野口英世
生没年1876年(明治9年) – 1928年(昭和3年)
時代明治〜大正時代
出身地福島県耶麻郡三ッ和村(現在の猪苗代町)
別名野口清作(幼名)
主な業績
  • 梅毒の病原体を進行麻痺の患者の脳から見つける(1913年)
  • ロックフェラー医学研究所で研究
  • 黄熱病の研究中に殉職(1928年)
  • 千円札の肖像(2004〜2024年)
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歩んだ道

1876年

誕生

福島県の猪苗代湖の近くの農家に生まれた。幼名は清作。

1878年

左手の大やけど

幼いころ、いろりに落ちて左手に大やけどを負い、指が開かなくなった。

1892年

手術と医学への志

左手の手術を受けて指が動くようになり、医学のすばらしさを知って医者を目指した。

1897年

医師の資格

東京に出て勉強し、医術開業試験に合格した。

1898年

北里研究所

北里柴三郎の伝染病研究所で働き、名を英世と改めた。

1900年

アメリカへ

アメリカに渡り、ペンシルベニア大学のフレクスナーのもとで研究を始めた。

1904年

ロックフェラー医学研究所

ニューヨークのロックフェラー医学研究所に移り、研究にうちこんだ。

1913年

梅毒の研究

梅毒の病原体を患者の脳から見つけ出し、世界的に有名になった。

1915年

母との再会

日本に一時帰国し、母シカと再会した。

1918年

黄熱病の研究

南アメリカのエクアドルに行き、黄熱病の研究を始めた。

1927年

アフリカへ

黄熱病の研究のため、アフリカのアクラ(ガーナ)に渡った。

1928年

最期

研究中に自らも黄熱病にかかり、アクラで亡くなった。

この時代に起きたこと

よくある質問

Q. 野口英世は何をした人ですか?

A. 明治・大正・昭和初期の細菌学者です。福島県の農家に生まれ、幼いころのやけどで左手が不自由になりましたが、手術で回復したことから医学を志しました。北里柴三郎の伝染病研究所を経てアメリカのロックフェラー医学研究所で研究し、梅毒の研究などで世界に知られました。黄熱病の研究中に西アフリカのアクラで亡くなりました。

Q. 野口英世はいつの時代の人ですか?

A. 明治〜大正時代の人物です。1876年(明治9年)に生まれ、1928年(昭和3年)に亡くなりました。

Q. 野口英世の出身地はどこですか?

A. 野口英世は福島県耶麻郡三ッ和村(現在の猪苗代町)の生まれです。

Q. 野口英世の黄熱病研究はどうなりましたか?

A. 野口は黄熱病の原因を細菌だと考えてワクチンを作りましたが、実際の原因はウイルスで、当時の顕微鏡では見えませんでした。確かめるために渡ったアフリカで自らも黄熱病にかかり、1928年に亡くなりました。

参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata

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