肥後の小国郷(熊本県小国町)で、庄屋の家に生まれた。
熊本の医学校でオランダ人医師マンスフェルトに学び、医学の道を志した。
東京大学の医学部を卒業し、内務省の衛生局に入った。
ドイツに留学し、細菌学者のコッホのもとで研究を始めた。
破傷風菌だけを取り出して育てる純粋培養に、世界で初めて成功した。
破傷風の血清療法を発見し、ベーリングとともに発表した。
帰国し、福沢諭吉らの助けで伝染病研究所をつくった。
ペストが流行した香港に行き、ペスト菌を発見した。
研究所が国の別の役所に移されることに反対してやめ、新たに北里研究所をつくった。
慶應義塾大学の医学部の初代の学部長となった。
東京で亡くなった。
伊沢修二高村光雲児玉源太郎ジョサイア・コンドルフェノロサ高峰譲吉下田歌子小村寿太郎
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。