何をした人?
幕末の幕臣で、小栗上野介の名で知られます。1860年に遣米使節の一員としてアメリカへ渡り、帰国後は勘定奉行などを務めて、横須賀製鉄所(造船所)の建設、軍制の改革、株式会社のさきがけとされる兵庫商社の設立などを進めました。1868年に新政府軍との徹底抗戦を主張して退けられ、上野国権田村に移ったのち、新政府軍に処刑されました。
| 名前 | 小栗忠順 |
|---|---|
| 生没年 | 1827年(文政10年) – 1868年(慶応4年) |
| 時代 | 江戸時代末(幕末) |
| 出身地 | 江戸神田駿河台(現在の東京都千代田区) |
| 別名 | 小栗上野介 |
| 主な業績 |
|
江戸の駿河台で、旗本の家に生まれた。
日米修好通商条約の批准のための使節として、アメリカへ渡った。造幣局などを見学し、世界を一周して帰国した。
ロシアの軍艦が対馬に居すわった事件で、交渉にあたった。
勘定奉行など幕府の重要な役につき、財政や軍備の改革に取り組んだ。
フランスの協力を得て、横須賀製鉄所(造船所)の建設を始めた。のちの日本の近代工業の土台となった。
日本で最初の株式会社といわれる兵庫商社をつくることを提案した。
新政府軍と戦うことを主張したが受け入れられず、上野の権田村(群馬県高崎市)に移った。そこで新政府軍に捕らえられ、処刑されて命を落とした。
A. 幕末の幕臣で、小栗上野介の名で知られます。1860年に遣米使節の一員としてアメリカへ渡り、帰国後は勘定奉行などを務めて、横須賀製鉄所(造船所)の建設、軍制の改革、株式会社のさきがけとされる兵庫商社の設立などを進めました。1868年に新政府軍との徹底抗戦を主張して退けられ、上野国権田村に移ったのち、新政府軍に処刑されました。
A. 江戸時代末(幕末)の人物です。1827年(文政10年)に生まれ、1868年(慶応4年)に亡くなりました。
A. 小栗忠順は江戸神田駿河台(現在の東京都千代田区)の生まれです。
A. はい。2027年のNHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公で、松坂桃李さんが演じると発表されています。2027年は小栗の生誕200年にあたります。
A. 小栗が中心となり、フランスの技術を借りて1865年から建設が始まった造船・製鉄の工場です。のちに横須賀海軍工廠となり、日本の近代工業の出発点の一つとされます。
参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata
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