日本史人生シミュレーター

松平春嶽(慶永)

福井藩主・幕末の政治家
時代:江戸末〜明治時代 / 1828年〜1890年(62歳ほど)
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歩んだ道

1828年

誕生

江戸城内にある田安家の屋敷で、田安家の当主・徳川斉匡の八男として生まれた。田安家は8代将軍吉宗の子から始まる徳川家の一門で、春嶽は将軍家に近い家柄に育った。

1838年

福井藩主に

10歳で越前(福井県)の福井藩主となった。藩は大きな借金をかかえていたため、家臣の中根雪江らに支えられながら、倹約や財政の立て直しに取り組んだ。

1849年

種痘を広める

藩の医者・笠原良策の願いを受け、天然痘を防ぐ種痘を広めることを後押しした。良策が苦労して手に入れた種痘の苗は、福井だけでなく各地へ広められた。

1855年

明道館

藩校・明道館を開き、学問と実用的な知識を学ばせた。若い橋本左内を取り立て、学校の運営や藩の改革を任せた。

1858年

横井小楠を招く

熊本の学者・横井小楠を招き、藩の政治の相談役とした。小楠は藩の産物を外国とも取引して藩を豊かにする政策を説き、福井藩の改革を大きく進めた。

1858年

隠居と謹慎

将軍の跡継ぎに一橋慶喜を推し、条約の調印にも抗議したため、大老・井伊直弼から隠居と謹慎を命じられた。このときから「春嶽」と名のった。翌年、腹心の橋本左内は安政の大獄で命を落とした。

1862年

政事総裁職

謹慎を解かれ、幕府の政事総裁職という重い役についた。一橋慶喜とともに幕府の改革を進め、参勤交代をゆるめるなどの改革(文久の改革)を行った。

1863年

龍馬の訪問

坂本龍馬が福井を訪れ、勝海舟の海軍塾のための資金の援助を頼んだ。春嶽はこれに応じたと伝わり、龍馬をはじめとする若い志士たちとのつながりを持った。

1864年

参預会議

一橋慶喜・島津久光・山内容堂らと、朝廷の参預会議に加わった。有力な大名たちの話し合いで国の方針を決めようとしたが、意見がまとまらず、会議はまもなく解散した。

1867年

大政奉還

将軍慶喜が政権を朝廷に返す大政奉還を支持した。王政復古の後は新政府の議定となり、徳川家と新政府の対立をやわらげようと力を尽くした。

1868年

新政府へ

福井藩士の由利公正は新政府に加わり、五箇条の御誓文のもとになる案づくりにかかわった。春嶽も新政府の要職について、新しい国づくりに参加した。

1870年

政界を退く

民部卿や大蔵卿などをつとめたのち、政府の役職から退いた。その後は、幕末に自分が見聞きしたことを書き残す仕事などに取り組んだ。

1890年

最期

東京で亡くなった。幕府と朝廷、藩どうしの間に立って争いを避けようとした春嶽は、幕末の「四賢侯」の一人に数えられている。

この時代に起きたこと

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