何をした人?
江戸幕府の9代将軍です。8代将軍徳川吉宗の長男として生まれ、1745年に将軍となりました。体が弱く言葉が不自由だったと伝わり、側用人の大岡忠光を頼りにしました。治世には薩摩藩に命じた宝暦治水や郡上一揆の裁きがあり、のちに田沼意次を取り立てるきっかけもつくりました。
| 名前 | 徳川家重 |
|---|---|
| 生没年 | 1712年(正徳元年) – 1761年(宝暦11年) |
| 時代 | 江戸時代 |
| 出身地 | 江戸 |
| 主な業績 |
|
江戸の赤坂にあった和歌山藩の屋敷で、藩主徳川吉宗の長男として生まれた。幼い名は長福丸。生まれつき体が弱く、言葉がはっきりしない障害があった。現代では、脳性麻痺によるものだったとする説がある。母の須磨子は家重が幼いころに亡くなった。
父の吉宗が8代将軍となり、家重も江戸城に移った。将軍の長男として大切に育てられたが、言葉の障害もあって人前に出ることが少なく、城の奥にこもりがちだったと伝わる。父は家重を支える家臣を周りにつけ、将来に備えさせた。
将軍のあとつぎと正式に定められ、翌年には朝廷の位をさずかって元服し、家重と名のった。将軍家では代々「家」の字を名に使うならわしがあった。文武にすぐれた弟の宗武と比べられ、あとつぎにふさわしくないという声も幕府の中にあった。
伏見宮家の皇族、邦永親王の娘の比宮(増子)と結婚した。将軍家と皇族との結びつきを深める縁組だったが、比宮はのちに早く亡くなった。家重はやがてお幸の方を側室とし、この女性との間に長男の家治が生まれることになる。
長男の家治が生まれた。家治は幼いころから聡明で、祖父の吉宗にかわいがられ、自ら学問や武芸を教えられたと伝わる。体の弱い家重にとって、すぐれた跡継ぎが育っていることは、将軍家を受け継ぐうえで大きな支えとなった。
父の吉宗が隠居して大御所となり、家重は9代将軍となった。吉宗は、才能で次男を選べば兄弟や親類の争いのもとになると考え、長男が継ぐという決まりを守ったとされる。家重は、自分を廃して宗武を立てようとした老中松平乗邑をしりぞけた。
大御所として実際の政治を動かしていた父の吉宗が亡くなった。家重は享保の改革を受け継ぎ、幕府のお金の使い道を調べる役を強め、部署ごとに予算を決める仕組みを取り入れた。一方、重い年貢への不満から、各地で一揆が起こるようになった。
洪水の多い木曽川・長良川・揖斐川の工事を薩摩藩に命じ、工事が始まった。薩摩藩は大きな借金を背負い、多くの藩士が命を落とした。工事の責任者の平田靱負は完成後に自ら命を絶ったと伝わる。この宝暦治水は、今も地元で語り継がれている。
言葉がますます聞き取りにくくなる中、ただ一人その言葉を聞き分けられた大岡忠光を側用人に取り立てた。忠光は将軍の言葉を伝える大役を担ったが、権力をふりかざすことはなかったといわれる。二人の信頼関係は、のちに小説の題材にもなった。
美濃の郡上藩で長く続いた百姓の一揆について、家重は真相を徹底して調べるよう命じた。裁きには田沼意次も加わり、この年に大名に取り立てられた。老中までが罰せられたのは、一揆では例のないことだった。同じころ、次男重好に清水家を立てさせ、御三卿の形を整えた。
頼りにしていた大岡忠光が亡くなると、その翌月、家重は長男の家治に将軍職をゆずって大御所となった。病がちで、まだ老いる年でもないのに政治を家治に任せたと、幕府の記録は伝えている。在職は十五年あまりだった。
江戸城で亡くなった。家治に、田沼意次を重く用いるよう言い残したと伝わる。幕府の記録は、体は弱かったが政治をよく家臣に任せ、世の中は穏やかだったと評している。のちの遺骨の調査で、歴代将軍の中でも整った顔立ちだったことがわかった。
A. 江戸幕府の9代将軍です。8代将軍徳川吉宗の長男として生まれ、1745年に将軍となりました。体が弱く言葉が不自由だったと伝わり、側用人の大岡忠光を頼りにしました。治世には薩摩藩に命じた宝暦治水や郡上一揆の裁きがあり、のちに田沼意次を取り立てるきっかけもつくりました。
A. 江戸時代の人物です。1712年(正徳元年)に生まれ、1761年(宝暦11年)に亡くなりました。
A. 徳川家重は江戸の生まれです。
A. 洪水の多かった木曽川・長良川・揖斐川の流れを整えるため、幕府が薩摩藩に命じた大工事です。費用は薩摩藩が負担し、工事は難しく、多くの藩士が命を落としたと伝わります。今も地元で工事にあたった人々がしのばれています。
参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata
この人の一生をたどる(自動再生)徳川吉宗石田梅岩賀茂真淵青木昆陽与謝蕪村伊藤若冲田沼意次前野良沢
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