陸奥(宮城県)で生まれた。のちに伊達政宗の家臣となった。
このころ、伊達軍の一員として朝鮮出兵に加わったといわれる。
政宗はスペイン領メキシコとの貿易を望み、常長を使者に選んだ。宣教師ソテロとともに、仙台藩で造った船サン・フアン・バウティスタ号で月の浦から出航した。
太平洋を横断してメキシコに着き、そこから大西洋をわたってスペインに入った。
マドリードでスペイン国王フェリペ3世に会い、洗礼を受けた。続いてローマで教皇パウルス5世に会い、ローマの市民権もあたえられた。
日本でキリスト教の禁止が強まっていることが伝わり、貿易の交渉はうまくいかなかった。常長は返事を待ってスペインに長くとどまった。
メキシコをへてフィリピンのマニラに渡り、帰国の機会を待った。
7年ぶりに仙台に帰った。しかし日本ではキリスト教がきびしく禁じられており、その苦労がむくわれることはなかった。
帰国から2年ほどで亡くなった。持ち帰った肖像画などは、今も仙台市博物館に残り、国宝となっている。
立花宗茂黒田長政淀殿伊東マンショ宇喜多秀家結城秀康小早川秀秋豊臣秀頼
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。