備前(岡山県)の大名・宇喜多直家の子として生まれた。
父が亡くなり、幼くして家を継いだ。羽柴秀吉にかわいがられ、秀吉の養子のような立場で育った。
このころ、前田利家の娘で秀吉の養女となった豪姫と結婚した(年は諸説あり)。備前・美作などを治める大大名となった。
文禄の役で、朝鮮に渡った軍の総大将をつとめた。
若くして豊臣政権の五大老の一人となった。
家臣どうしの争い(宇喜多騒動)が起き、多くの重臣が家を離れた。
西軍の主力として、福島正則の軍と激しく戦ったが敗れた。戦場をのがれ、薩摩の島津氏のもとにかくまわれた。
島津氏によって幕府に引き渡された。島津氏や前田氏のとりなしで命は助けられた。
伊豆の八丈島に流された。妻の豪姫の実家・前田家から米などが送られ、島での暮らしを支えた。
50年近くを八丈島で過ごし、その地で亡くなった。関ヶ原で戦った大名の中で、最も長く生きた一人だった。
立花宗茂黒田長政淀殿伊東マンショ支倉常長結城秀康小早川秀秋豊臣秀頼
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。