日向(宮崎県)の大名・伊東氏の一族として生まれた(生年は諸説あり)。
伊東氏が島津氏に敗れて日向を追われ、一族とともに豊後の大友宗麟を頼って逃れた。
このころ、有馬(長崎県)のセミナリヨ(神学校)に入り、ラテン語や音楽などを学んだ。
大友宗麟の代理として、千々石ミゲル・中浦ジュリアン・原マルティノとともに少年使節に選ばれ、宣教師ヴァリニャーノに連れられて長崎を出航した。
2年あまりの旅のすえ、ポルトガル・スペインをへてローマに着き、教皇グレゴリウス13世に会った。各地で大歓迎を受けた。
8年ぶりに日本に帰った。持ち帰った活版印刷機で、日本語の本などが印刷された(キリシタン版)。しかし日本ではすでにバテレン追放令が出されていた。
聚楽第で豊臣秀吉に会い、西洋の楽器を演奏して聞かせたと伝わる。この年、イエズス会に入った。
マカオで学んだあと、長崎で司祭となった。九州各地で布教を続けた。
長崎で病気のため亡くなった。キリスト教の禁止が強まる直前のことだった。
真田幸村(信繁)立花宗茂黒田長政淀殿支倉常長宇喜多秀家結城秀康小早川秀秋
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。