日本史人生シミュレーター

伊能忠敬

商人・測量家
時代:江戸時代 / 1745年〜1818年(73歳ほど)

何をした人?
江戸時代の商人・測量家です。下総佐原の伊能家に婿入りして家業を立て直し、50歳で隠居すると江戸に出て天文学者の高橋至時に学びました。1800年から17年かけて全国を歩いて測量し、その成果は亡くなったあとの1821年に『大日本沿海輿地全図』として完成しました。

プロフィール

名前伊能忠敬
生没年1745年(延享2年) – 1818年(文化15年)
時代江戸時代
出身地上総国小関村(現在の千葉県九十九里町)
別名三治郎(幼名)、勘解由
主な業績
  • 佐原の伊能家を立て直す
  • 高橋至時に天文学と測量を学ぶ
  • 全国を測量し『大日本沿海輿地全図』の基礎を作る
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歩んだ道

1745年

誕生

上総(千葉県)の九十九里浜に近い村で生まれた。

1762年

伊能家の婿養子

下総の佐原(香取市)の商家・伊能家の婿養子となった。酒造りや米の取り引きなどの家業を立て直し、家を大きく豊かにした。

1783年

ききんの救済

天明の飢饉のとき、村の名主として米を安く売ったり配ったりして、苦しむ人々を助けた。

1794年

隠居

家業を長男にゆずって隠居した。若いころから好きだった天文や暦の学問に打ちこむことを決めた。

1795年

高橋至時に学ぶ

江戸に出て、幕府の天文方・高橋至時に弟子入りした。至時は忠敬よりずっと年下だったが、熱心に天文学や測量を学んだ。

1800年

蝦夷地の測量

地球の大きさを知るため、正確な距離を測りたいと考えていた。幕府の許しを得て、55歳で蝦夷地(北海道)の測量に出発した。

1801年

東日本の測量

測量の正確さが認められ、本州の東側の海岸などを次々と測った。歩はばをそろえて歩き、距離を測ったといわれる。

1804年

師の死

師の高橋至時が亡くなった。忠敬は深く悲しんだが、測量を続けた。

1805年

幕府の事業に

測量は幕府の正式な事業となり、西日本や四国・九州の測量へと進んだ。多くの隊員を率いる大がかりなものになった。

1816年

測量を終える

最後に江戸の町を測り、17年にわたる測量を終えた。歩いた距離は地球一周に近いといわれる。

1818年

最期

地図の完成を見ないまま江戸で亡くなった。弟子たちがあとを受けつぎ、のちに『大日本沿海輿地全図』が完成した。

この時代に起きたこと

よくある質問

Q. 伊能忠敬は何をした人ですか?

A. 江戸時代の商人・測量家です。下総佐原の伊能家に婿入りして家業を立て直し、50歳で隠居すると江戸に出て天文学者の高橋至時に学びました。1800年から17年かけて全国を歩いて測量し、その成果は亡くなったあとの1821年に『大日本沿海輿地全図』として完成しました。

Q. 伊能忠敬はいつの時代の人ですか?

A. 江戸時代の人物です。1745年(延享2年)に生まれ、1818年(文化15年)に亡くなりました。

Q. 伊能忠敬の出身地はどこですか?

A. 伊能忠敬は上総国小関村(現在の千葉県九十九里町)の生まれです。

Q. 伊能忠敬の地図はいつ完成しましたか?

A. 忠敬は1818年に亡くなったため、弟子たちが仕上げ、1821年に『大日本沿海輿地全図』として幕府に納められました。とても正確で、明治以降も長く使われました。

参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata

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