備中の庭瀬村(岡山市)で、大庄屋の家に生まれた。
東京に出て慶應義塾で学んだ。
西南戦争に新聞の記者として加わり、記事が評判となった。
大隈重信の立憲改進党に加わった。
第一回の衆議院議員選挙で当選し、その後も長く議員をつとめた。
大隈重信の内閣で文部大臣となった。
尾崎行雄らとともに、憲法にもとづく政治を守る運動の先頭に立ち、「憲政の神様」とよばれた。
立憲政友会の総裁となった。
内閣総理大臣となった。
五・一五事件で首相官邸をおそった海軍の青年将校たちに撃たれ、命を落とした。「話せばわかる」と言ったと伝わる。
西園寺公望山本権兵衛寺内正毅高橋是清原敬尾崎行雄加藤高明加藤友三郎
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。