何をした人?
鎌倉時代の僧で、時宗の開祖です。伊予の河野氏に生まれ、幼くして出家しました。家や財産を捨てて全国を旅し、「南無阿弥陀仏」と書いた念仏札を配り、人々と踊りながら念仏を唱える踊り念仏を広めました。すべてを捨てた姿から「捨聖」と呼ばれます。
| 名前 | 一遍 |
|---|---|
| 生没年 | 1239年(延応元年) – 1289年(正応2年) |
| 時代 | 鎌倉時代 |
| 出身地 | 伊予国 |
| 別名 | 捨聖・遊行上人 |
| 主な業績 |
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伊予国(愛媛県)の豪族、河野通広の子として生まれた。幼い名は松寿丸。河野氏はかつて源平の戦いで活躍した有力な御家人だったが、承久の乱で一族の多くが朝廷方について処罰され、一遍が生まれたころには勢いを失っていた。
幼くして母を亡くし、父のすすめで出家して随縁という名を受けた。父の通広も若いころに出家した経験を持つ人で、息子を仏の道へ進ませたと考えられている。母との別れは、のちに世の無常を深く見つめる一遍の心の出発点になったともいわれる。
九州の大宰府に移り、法然の孫弟子にあたる浄土宗の僧・聖達のもとで浄土の教えを学んだ。初めは肥前の華台のもとで基礎を学び、名を智真と改めた。聖達のもとでの修学は十年以上に及び、念仏の教えが一遍の心の柱となった。
父の通広が亡くなったことをきっかけに伊予へ帰り、僧の身を離れて家の仕事にかかわる暮らしに戻った。しかし一族の中の領地をめぐる争いなどに悩み、心の安らぎは得られなかったという。俗世の苦しみを身をもって知った時期であった。
ふたたび出家し、信濃の善光寺に参ったのち、伊予の窪寺や岩屋寺にこもって厳しい修行を重ねた。窪寺では、阿弥陀仏の悟りと人々の往生は一つであるという「十一不二」の考えに至ったとされる。これが一遍の教えの土台となった。
家や財産をすべて捨て、一族とも別れて、念仏をすすめる旅(遊行)に出た。四天王寺や高野山などを巡り、「南無阿弥陀仏」と書いた念仏札を人々に配り始めた。寺も持たず各地を歩くこの旅は、亡くなるまで十六年にわたって続いた。
紀伊で一人の僧に念仏札を受け取るのを断られて悩み、熊野本宮にこもった。そこで熊野権現から「信じる者も信じない者も選ばず、札を配れ」と夢で告げられたと伝わる。この体験から一遍と名乗り、のちに時宗の始まりとされた。
九州各地を巡って念仏をすすめたが、旅は苦しく、食べ物にも困るほどだったという。翌年、豊後(大分県)で出会った真教(他阿)が弟子となり、旅に加わった。真教はのちに一遍の教えを受けつぎ、時宗を大きな教団へと育てていく人物である。
信濃の佐久で、尊敬する平安時代の僧・空也にならい、鉦をたたき輪になって念仏を唱えながら踊る「踊り念仏」を始めた。念仏に出会えた喜びを体で表すものとされ、多くの人々が集まった。一方で、騒がしいと批判する人もいた。
大勢の人々を連れて鎌倉に入ろうとしたが、鎌倉幕府の執権の一行に出会い、入ることを止められた。一遍はあきらめず、近くの片瀬で数日にわたって踊り念仏を行い、かえって多くの人々を集めたと伝わる。
京都に入り、四条京極の釈迦堂などで踊り念仏を行った。貴族から庶民まで大勢の人がつめかけ、身動きできないほどだったと、のちの絵巻『一遍聖絵』に描かれている。念仏の教えは身分を問わず、都の人々にも広まった。
長い遊行ののち、瀬戸内海を渡って故郷の伊予に戻った。かつて修行した岩屋を訪ね、一族が古くから敬う大三島の大山祇神社にも参った。神社を大切にする姿勢も一遍の特色で、旅の中で各地の神社を訪ねて縁を結んだ。
旅の途中で病にかかり、兵庫の観音堂(のちの真光寺)で静かに亡くなった。亡くなる少し前、持っていた書物の多くを自ら焼き、「一代の教えはみな尽きて南無阿弥陀仏になった」と語ったと伝わる。教団は残さなかったが、弟子の真教が時宗をまとめた。
A. 鎌倉時代の僧で、時宗の開祖です。伊予の河野氏に生まれ、幼くして出家しました。家や財産を捨てて全国を旅し、「南無阿弥陀仏」と書いた念仏札を配り、人々と踊りながら念仏を唱える踊り念仏を広めました。すべてを捨てた姿から「捨聖」と呼ばれます。
A. 鎌倉時代の人物です。1239年(延応元年)に生まれ、1289年(正応2年)に亡くなりました。
A. 一遍は伊予国の生まれです。
A. 鉦をたたきながら、人々が輪になって踊り、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えるものです。念仏を唱えられる喜びを体で表すもので、身分に関係なく多くの人が加わり、一遍の教えが広まるきっかけになりました。
参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata
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