日本史人生シミュレーター

世阿弥

能役者・能作者
時代:室町時代 / 1363年〜1443年(80歳ほど)
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歩んだ道

1363年

誕生

猿楽の役者・観阿弥の子として生まれた(生年は諸説あり)。幼い名は鬼夜叉。父のもとで、幼いころから舞台に立った。

1374年

義満に見いだされる

京都の今熊野での父の舞台で、11歳の世阿弥は将軍・足利義満の目にとまった(1375年説も)。義満は少年をかわいがり、そばに置いた。公家の二条良基からは和歌や連歌も学んだ。

1378年

祇園祭で

祇園祭の見物で、義満は世阿弥を自分の席に同席させた。身分の低い芸能者を特別あつかいしたことを、公家の日記は苦々しく記している。

1384年

父の死

父の観阿弥が旅先の駿河(静岡県)で亡くなった。21歳で観世座の長となり、父の芸を受け継いだ。

1400年

風姿花伝

父の教えをもとに、能の心得を書いた『風姿花伝』の最初の部分をまとめた。「秘すれば花」など、観客を感動させる「花」とは何かを説いた。

1408年

義満の死

後ろだてだった義満が亡くなった。次の将軍・義持は田楽の増阿弥を好み、世阿弥はより深く静かな美しさ「幽玄」を追い求めて芸をみがいた。『井筒』など多くの名作を書いた。

1422年

出家

このころ出家し、観世座の長を長男の元雅にゆずった。その後も芸論を書き続け、1424年には『花鏡』をまとめた。

1429年

将軍に遠ざけられる

6代将軍・足利義教は世阿弥のおいの音阿弥をひいきにし、世阿弥父子は御所での演能を禁じられるなど冷遇された。

1432年

子を失う

才能を期待していた長男の元雅が、旅先の伊勢で亡くなった。次男の元能はすでに出家していた。世阿弥は「道はここで絶えた」と深く嘆いた。

1434年

佐渡へ

理由ははっきりしないが、71歳で佐渡へ流された。

1436年

金島書

佐渡での日々を小謡の形でつづった『金島書』を書いた。島の景色や神社を、静かな心でうたっている。

1443年

最期

その後、許されて都に戻ったともいわれるが、くわしいことは分かっていない。このころ亡くなったと考えられている(諸説あり)。

この時代に起きたこと

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