日本史人生シミュレーター

高師直

室町幕府初代執事
時代:鎌倉末〜南北朝時代 / 1299年〜1351年(52歳ほど)
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歩んだ道

1299年

誕生

足利氏に仕える高一族に生まれたとされる。生年ははっきりせず、のちの伝から1299年ごろとおく説もあるが諸説あり。父は師重。幼いころから尊氏の側近くで育ち、実務と軍略を身につけていった。

1333年

尊氏に従う

元弘の乱で足利尊氏に従い、鎌倉幕府打倒に加わった。建武の新政では雑訴決断所などに属し、尊氏の代官として働いた。乱世の中で、主の右腕として急速に存在感を高めていった。

1335年

尊氏の挙兵

尊氏が中先代の乱ののち建武政権にそむくと、師直は軍を率いて戦い、京都や九州をめぐる戦いで功を立てた。尊氏が将軍となる道を、軍事の実務で支える中心の人物となっていった。

1338年

北畠顕家を破る

南朝方の名将・北畠顕家の軍と戦い、これを破った。畿内の戦いで幕府方の優位を固め、師直の武名はさらに高まった。太平記には権威を軽んじる新しい武士の姿として描かれ、のちの物語にも影響した。

1338年

幕府の執事に

尊氏が征夷大将軍となると、師直は将軍家の執事となった。恩賞や奉書の実務を握り、武士たちへの命令は多く師直を通して出された。弟の師泰とともに、開創期の幕府を軍事・内政の両面で支えた。

1340年

恩賞と奉書

執事として武士たちの恩賞申請を処理し、将軍の意思を奉書で下へ伝えた。軍事と行政をつなぐこの実務は、室町幕府の開創期を支えるうえで欠かせない役割だった。とされる。

1348年

楠木正行との戦い

河内で楠木正行(正成の子)を四条畷で破り、正行は戦死した。南朝方に大きな打撃を与え、幕府の軍事を担う筆頭として存在感を示した。しかしその勢いは、やがて政務を握る足利直義との対立を深める。

1349年

直義を退ける

尊氏の弟で政務をつかさどる足利直義と激しく対立した。師直は直義の屋敷を囲み、直義を出家させて政務から退け、自らは執事に復帰して実権を握った。幕府を二分する争いの始まりだった。

1350年

観応の擾乱

直義が京都を脱して南朝と結び、尊氏・師直と戦う観応の擾乱が始まった。かつての味方同士が刃を交え、畿内は大きく乱れた。師直は尊氏とともに直義方と戦ったが、形勢は次第に不利になっていった。

1351年

最期

摂津打出浜の戦いで尊氏・師直は敗れ、師直は出家して降伏した。京へ送られる途上、摂津の武庫川付近で直義派の上杉能憲らに襲われ、弟の師泰ら一族とともに命を落とした。享年は不明。

この時代に起きたこと

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