近江(滋賀県)の名門・佐々木氏の一族、京極家に生まれた。名は高氏。
鎌倉幕府に仕え、執権・北条高時が出家したとき、ともに出家して道誉と名のった。
流される後醍醐天皇を隠岐へ送る役目についたと『太平記』は伝える。
足利尊氏が幕府に背くと、これに味方した。以後、尊氏の重臣として各地で戦い、近江などの守護となった。時勢を見て敵味方を変える、したたかな武将でもあった。
派手で常識にとらわれない「バサラ」のふるまいで知られた。家来が門跡寺院の枝を折ったことから争いになり、妙法院を焼いてしまい、一時流罪となった。
連歌・茶・香・生け花などに通じた教養人だった。連歌集『菟玖波集』にも道誉の句が多くおさめられた。
南朝軍が京都に攻めこみ、幕府方は都を離れた。道誉は自分の屋敷を美しく飾り、酒や料理を用意して去った。屋敷に入った南朝の楠木正儀はその心づかいに感心し、のちに京都を去るとき、お返しをして屋敷を焼かなかったと『太平記』は伝える。
京都の大原野で、桜の木々を飾り立てた豪華な花見を開いた。対立していた管領・斯波高経の催しに対抗したものだったという。
斯波氏を退けたあと、細川頼之を管領とすることを支え、幼い義満の時代の幕府を安定させる役割を果たした。
近江で亡くなった。乱世をたくみに生き抜き、自由で華やかな南北朝時代の文化を象徴する人物となった。
赤松円心(則村)後醍醐天皇北畠親房楠木正成高師直新田義貞足利尊氏足利直義
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。