日向の飫肥藩(宮崎県日南市)の下級武士の家に生まれた。
藩から選ばれて東京の大学南校で学んだ。
国の留学生としてアメリカのハーバード大学で法律を学んだ。
司法省を経て、外務省に入った。
清に駐在する外交官として働いた。
桂太郎内閣の外務大臣となった。
イギリスとの間に日英同盟を結んだ。
日露戦争のあと、アメリカのポーツマスでロシアと講和条約を結んだ。賠償金を取れなかったため、国内では強い不満が起こった。
韓国併合を進めた。
アメリカと条約を改め、関税を自分で決める権利を取りもどし、不平等条約の改正を成しとげた。その年に病のため亡くなった。
北里柴三郎フェノロサ高峰譲吉下田歌子植木枝盛御木本幸吉坪内逍遥嘉納治五郎
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。