生まれた年や場所は、美作(岡山県)や播磨(兵庫県)など諸説ある。
のちに書いた『五輪書』によると、13歳で初めて勝負をして、有馬喜兵衛という兵法者に勝った。
このころ京都に上り、剣術の名門・吉岡一門と戦って勝ったと伝わる。その後も各地で60回以上勝負して、一度も負けなかったと書いている。
このころ、豊前の舟島(巌流島)で佐々木小次郎と戦ったと伝わる(年や内容は諸説あり)。
大坂の陣に徳川方の武将の部隊で加わったといわれる。
養子の宮本伊織が播磨の明石藩に仕え、のちに家老となった。武蔵も伊織とともに過ごした。
伊織の主君の小笠原家の軍とともに島原の乱に加わった。
肥後の熊本藩主・細川忠利にまねかれ、熊本で暮らした。剣術だけでなく、水墨画や彫刻にもすぐれた作品を残した。
熊本の霊巌洞という洞窟にこもり、剣の道をまとめた『五輪書』を書き始めた。二本の刀を使う「二天一流」の考えが記されている。
『五輪書』を弟子にさずけ、熊本で亡くなった。
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。