京都で生まれた。幼いころからたいへんな読書家だった。
京都の建仁寺で学んだが、僧になることは断った。
朱子学を独学で学び、京都で人々に『論語』の講義をした。許しのない講義だと、古い学者の家から非難された。
朱子学者の藤原惺窩に弟子入りし、その推薦で道が開けた。
徳川家康に仕え、幕府の文書づくりや学問の相談役となった。以後、4代の将軍に仕えた。
3代将軍家光から上野の忍岡に土地をあたえられ、塾と書庫を建てた。これがのちの幕府の学校・昌平坂学問所のもとになった。
武家諸法度の改定など、幕府の法令づくりにかかわった。朱子学は身分の上下の秩序を重んじ、幕府に重く用いられた。
幕府の命令で、日本の歴史書の編さんを始めた。のちに子の鵞峰がうけつぎ『本朝通鑑』として完成させた。
明暦の大火で大切な書庫が焼け、そのわずか数日後に亡くなった。
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。