徳川家康の三男として遠江の浜松で生まれた。兄の信康が亡くなったことなどから、跡継ぎとして育てられた。
京都に上り、豊臣秀吉に会った。秀吉から「秀」の字をもらい、秀忠と名のった。
浅井長政とお市の娘で、淀殿の妹の江と結婚した。二人の間には、のちの3代将軍家光や千姫が生まれた。
関ヶ原の戦いのとき、大軍を率いて中山道を進んだが、真田昌幸の上田城で足止めされ、決戦に間に合わなかった。家康にきびしくしかられた。
家康から将軍職をゆずられ、2代将軍となった。将軍職が徳川家に受けつがれることを世に示した。
大坂夏の陣で豊臣氏がほろんだあと、武家諸法度・禁中並公家諸法度や一国一城令を出し、大名や朝廷をおさえるしくみを整えた。
家康が亡くなり、秀忠が自ら政治を行うようになった。ヨーロッパの船が来る港を平戸と長崎に限った。
広島城を無断で直した福島正則の領地を取り上げるなど、大名にきびしい態度をとった。
娘の和子を後水尾天皇のきさきとし、朝廷との結びつきを強めた。
将軍職を子の家光にゆずったが、大御所として実権をにぎり続けた。
江戸城で亡くなった。家康が開いた幕府の土台を固めた将軍だった。
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。