何をした人?
江戸幕府の3代将軍です。1635年に武家諸法度を改めて参勤交代を制度にし、大名の統制を強めました。島原・天草一揆のあとキリスト教の取り締まりを強め、ポルトガル船の来航を禁じて、いわゆる「鎖国」の体制を固めました。幕府のしくみは家光の時代にほぼ整ったとされます。
| 名前 | 徳川家光 |
|---|---|
| 生没年 | 1604年(慶長9年) – 1651年(慶安4年) |
| 時代 | 江戸時代 |
| 出身地 | 江戸城(現在の東京都千代田区) |
| 別名 | 竹千代(幼名)、大猷院 |
| 主な業績 |
|
2代将軍徳川秀忠の子として江戸城で生まれ、竹千代と名づけられた。乳母の春日局に育てられた。
両親が弟の国松(忠長)をかわいがり、跡継ぎ争いが起きた。春日局が祖父の家康にうったえ、家康が竹千代を跡継ぎと定めたと伝わる。
父の秀忠から将軍職をゆずられ、3代将軍となった。大名たちに「自分は生まれながらの将軍である」と言ったと伝わる。
父の秀忠が亡くなり、自分で政治を行うようになった。弟の忠長の領地を取り上げるなど、きびしい態度で大名をおさえた。
老中や若年寄などの役職を定め、幕府の政治のしくみを整えた。
武家諸法度を改め、大名が1年おきに江戸と領地を行き来する参勤交代を制度にした。日本人が海外へ行くことや帰国することも禁じた。
祖父の家康をまつる日光東照宮を、ばく大な費用をかけて豪華に建て直した。家光は家康を深く尊敬していた。
島原・天草でキリシタンの農民らが一揆を起こした。幕府は大軍を送り、翌年ようやくしずめた。
キリスト教の広まりをおそれ、ポルトガル船の来航を禁じた。
平戸のオランダ商館を長崎の出島に移した。外国との交流は、オランダ・中国・朝鮮・琉球・アイヌに限られた。のちに「鎖国」とよばれる体制が整った。
大きな飢饉のあと、農民が田畑を売って没落しないよう、田畑の永代売買を禁じた。
江戸城で病気のため亡くなった。家光の時代に、江戸幕府の支配のしくみがほぼ完成した。
A. 江戸幕府の3代将軍です。1635年に武家諸法度を改めて参勤交代を制度にし、大名の統制を強めました。島原・天草一揆のあとキリスト教の取り締まりを強め、ポルトガル船の来航を禁じて、いわゆる「鎖国」の体制を固めました。幕府のしくみは家光の時代にほぼ整ったとされます。
A. 江戸時代の人物です。1604年(慶長9年)に生まれ、1651年(慶安4年)に亡くなりました。
A. 徳川家光は江戸城(現在の東京都千代田区)の生まれです。
A. 大名が1年おきに江戸と自分の領地を行き来し、妻子は江戸に住まわせた制度です。1635年の武家諸法度で定められ、大名の力をおさえる一方、街道や宿場町の発展にもつながりました。
参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata
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