近江の小川村(滋賀県高島市)の農家に生まれた。
武士だった祖父の養子となり、伯耆の米子、のちに伊予の大洲(愛媛県)に移った。
祖父が亡くなり、大洲藩の武士として家を継いだ。
このころ、儒学の書物を独学で読み、朱子学を深く学んだ。
故郷でひとり暮らす母に孝行するため、藩に願い出たが許されず、藩をぬけて小川村に帰った。
村で酒を売るなどして暮らしながら、塾を開いて村人や若者に学問を教えた。家の庭の藤の木から「藤樹先生」とよばれた。
問答の形で人の生き方を説いた『翁問答』を書いた。親を大切にする「孝」を、人の道の根本とした。
王陽明の書物を読み、心の中の良い心(良知)を大切にする陽明学を学ぶようになった。日本の陽明学の祖とされる。
40歳で亡くなった。その人柄と教えは村の人々に深くしたわれ、「近江聖人」とよばれた。弟子に熊沢蕃山がいる。
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。