陸奥の盛岡藩(岩手県盛岡市)の武士の家に生まれた。
札幌農学校に入り、内村鑑三らとともに学んだ。キリスト教の信者となった。
東京大学に入るとき、「太平洋の架け橋になりたい」と語ったと伝わる。
アメリカやドイツに留学して学んだ。
アメリカ人のメアリーと結婚して帰国し、札幌農学校の教授となった。
日本人の心を英語で紹介した『武士道』を書いた。世界中で読まれた。
第一高等学校の校長となり、若者の教育に力をつくした。
東京女子大学の初代学長となった。
国際連盟の事務次長となり、世界平和のために働いた。
国際会議に出席したあと、カナダで病のため亡くなった。
大山捨松内村鑑三田辺朔郎森鷗外岡倉天心津田梅子二葉亭四迷川上音二郎
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。