何をした人?
明治から大正の陸軍軍人で、「日本騎兵の父」と呼ばれます。伊予国松山に生まれ、陸軍に入りフランスで騎兵を学びました。日露戦争では騎兵旅団を率い、黒溝台の戦いなどでロシア軍の攻撃を食い止めました。陸軍大将まで昇り、退役後は故郷の北予中学校の校長を務めました。海軍の秋山真之は弟です。
| 名前 | 秋山好古 |
|---|---|
| 生没年 | 1859年(安政6年) – 1930年(昭和5年) |
| 時代 | 江戸末〜昭和時代 |
| 出身地 | 伊予国松山(現在の愛媛県松山市) |
| 主な業績 |
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伊予国の松山藩で、身分の低い武士である秋山久敬の三男として生まれた。家は貧しく、のちに弟の真之が生まれたときには、育てられないので寺に預けようかという話が出たが、好古が「勉強してお金をこしらえる」と止めたと伝わる。
少年時代は銭湯の手伝いをして家計を助けた。学費のかからない学校を探し、大阪の師範学校に入って教員の資格を得て、小学校の先生として働いた。学びたいという強い気持ちと、家族を支える責任感を持った若者だった。
同じく学費のいらない陸軍士官学校に入り、軍人の道を歩み始めた。のちに陸軍大学校の第一期生となり、近代的な戦術を学んだ。ドイツから招かれた教官メッケルから学んだことは、のちの軍人としての考え方に大きく影響した。
陸軍大学校に入ったこのころ、故郷の弟真之を東京に呼び寄せ、学費や生活の面倒を見た。真之は親友の正岡子規とともに東京で学び、のちに海軍の参謀として名を上げる。兄弟の強い絆は、のちに小説の題材としても広く知られた。
旧松山藩主家の久松定謨がフランスの陸軍士官学校に留学する際、その補佐役として渡仏した。現地で騎兵の戦い方を熱心に研究し、日本ではまだ弱かった騎兵を育てることを自分の使命とした。この経験がその後の生涯を決めた。
日清戦争では騎兵大隊を率いて出陣し、旅順の攻略などで活躍した。戦いの後は騎兵の教育に力を注ぎ、学校で多くの将校を育てた。大酒飲みで飾らない人柄で知られ、身の回りのことには無頓着だったという逸話も多い。
義和団事件ののち、清国に渡って現地の守備や交渉に当たった。各国の軍人や役人と接し、公正で誠実な人柄から信頼を集めたといわれる。この時期には中国の要人とも交流し、国際的な広い視野を身につけていった。
日露戦争では騎兵第1旅団を率いた。数で勝るロシアの騎兵に対し、馬から降りて機関銃を使う戦い方で対抗した。黒溝台の戦いでは大軍の攻撃を粘り強く防ぎ、奉天の戦いにも加わった。敵の後方を探る偵察隊も送り出した。
戦争に勝利したのち、騎兵を育てた功績から「日本騎兵の父」と呼ばれるようになった。同じ戦争では、弟の真之も海軍の参謀として日本海海戦で活躍しており、兄弟はそろって国を支えた人物として語り継がれている。
陸軍大将に昇進した。前の年には朝鮮の駐屯軍の司令官も務めていた。のちに陸軍の教育の責任者である教育総監となり、軍人の育成に当たった。どれほど地位が上がっても質素な暮らしを続け、ぜいたくを好まなかったという。
軍を退き予備役となった。元帥にという話もあったが辞退したと伝わる。軍人としての名誉よりも、静かに身を引くことを選んだ。退いた後は軍の要職に関わることなく、故郷の松山に帰って新しい仕事を考えるようになった。
地元の人々に頼まれて、松山の私立北予中学校の校長となった。陸軍大将まで務めた人物が中学校の校長になったことは人々を驚かせた。毎日まじめに学校に通い、生徒たちの教育に力を尽くした。
数年間校長を務めて辞めたあと、病気のため東京で亡くなった。故郷の松山では、今も弟の真之や正岡子規とともに郷土の偉人として親しまれている。飾らない人柄と、学びを大切にした生き方は多くの人の心に残った。
A. 明治から大正の陸軍軍人で、「日本騎兵の父」と呼ばれます。伊予国松山に生まれ、陸軍に入りフランスで騎兵を学びました。日露戦争では騎兵旅団を率い、黒溝台の戦いなどでロシア軍の攻撃を食い止めました。陸軍大将まで昇り、退役後は故郷の北予中学校の校長を務めました。海軍の秋山真之は弟です。
A. 江戸末〜昭和時代の人物です。1859年(安政6年)に生まれ、1930年(昭和5年)に亡くなりました。
A. 秋山好古は伊予国松山(現在の愛媛県松山市)の生まれです。
A. 好古は兄、真之は弟です。好古は陸軍で騎兵を育て、真之は海軍の参謀として日本海海戦の作戦を立てました。兄弟の生涯は、正岡子規とともに司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』に描かれています。
参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata
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