伊予の松山(愛媛県)で、武士の家に生まれた。本名は常規。
東京に出て学んだ。
血をはく病気にかかり、血をはくまで鳴くというホトトギスにちなんで「子規」と名のった。夏目漱石と親しくなった。
大学をやめて新聞『日本』の記者となり、俳句の改革を始めた。
日清戦争に記者として出かけたが、帰りに重い病となった。松山で漱石の下宿に同居した。
俳句の雑誌『ほととぎす』の創刊を支え、写生を大切にする新しい俳句を広めた。
『歌よみに与ふる書』を書き、短歌の改革にも取り組んだ。
病気で寝たきりになりながらも『病牀六尺』などを書き続け、東京の根岸の家で亡くなった。
二葉亭四迷川上音二郎黒田清輝夏目漱石豊田佐吉幸田露伴尾崎紅葉横山大観
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。