大和の柳生(奈良市)で、剣の達人・柳生石舟斎(宗厳)の子として生まれた。
父が徳川家康の前で、刀を持たずに相手を制する「無刀取り」を見せたことがきっかけで、家康に仕えた。
関ヶ原の戦いで家康の東軍に加わり、その功績で失っていた柳生の領地を取りもどした。
徳川秀忠の剣術の先生となった。
大坂夏の陣で秀忠のそばを守り、おそってきた敵を斬ったと伝わる。
のちの三代将軍・徳川家光の剣術の先生となり、深い信頼を得た。
大名を見張る大目付となった。剣の心得を説いた『兵法家伝書』も書き、剣は人を生かすためのものと説いた。
領地が1万石をこえ、大名となった。
江戸で亡くなった。柳生新陰流は将軍家の剣術として受けつがれた。
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。