何をした人?
幕末の土佐藩出身の志士です。江戸で剣術を学び、土佐藩を脱藩したのち勝海舟の弟子となりました。長崎で亀山社中(のちの海援隊)を作り、1866年には対立していた薩摩藩と長州藩の同盟(薩長同盟)の仲立ちをしました。大政奉還の実現にも関わりましたが、1867年に京都の近江屋で暗殺されました。
| 名前 | 坂本龍馬 |
|---|---|
| 生没年 | 1836年(天保6年) – 1867年(慶応3年) |
| 時代 | 江戸時代末(幕末) |
| 出身地 | 土佐国高知城下(現在の高知県高知市) |
| 別名 | 才谷梅太郎、坂本直柔 |
| 主な業績 |
|
土佐(高知県)の郷士・坂本家の次男として生まれた。幼いころは泣き虫だったが、姉の乙女にきたえられたと伝わる。
江戸の千葉道場で剣術を学んだ。この年ペリーの黒船が来航し、龍馬は品川の警備に加わった。
武市半平太がつくった土佐勤王党に加わった。天皇を尊び外国を打ち払おうとする尊王攘夷の考えに共感した。
藩を無断でぬけ出し(脱藩)、江戸で幕臣の勝海舟に弟子入りした。会って世界の話を聞き、考えが大きく変わったと伝わる。
勝海舟がつくった神戸海軍操練所で、航海術などを学び、海軍づくりを手伝った。
長崎で、仲間とともに貿易と海運の会社・亀山社中をつくった。のちの海援隊のもととなった。
対立していた薩摩藩と長州藩の間を取りもち、薩長同盟を結ばせた。直後に京都の寺田屋で幕府の役人におそわれたが、のちに妻となるお龍の知らせで助かった。
傷をいやすため、お龍とともに薩摩の霧島などをめぐった。日本で最初の新婚旅行ともいわれる。
海援隊の隊長となった。新しい国の形を示した「船中八策」をまとめたとされ、これが土佐藩を通じて大政奉還につながった。
京都の近江屋で、中岡慎太郎とともに何者かにおそわれ、命を落とした。31歳だった。
A. 幕末の土佐藩出身の志士です。江戸で剣術を学び、土佐藩を脱藩したのち勝海舟の弟子となりました。長崎で亀山社中(のちの海援隊)を作り、1866年には対立していた薩摩藩と長州藩の同盟(薩長同盟)の仲立ちをしました。大政奉還の実現にも関わりましたが、1867年に京都の近江屋で暗殺されました。
A. 江戸時代末(幕末)の人物です。1836年(天保6年)に生まれ、1867年(慶応3年)に亡くなりました。
A. 坂本龍馬は土佐国高知城下(現在の高知県高知市)の生まれです。
A. 1866年、それまで対立していた薩摩藩と長州藩が、幕府に対抗するために結んだ協力の約束です。京都で西郷隆盛・小松帯刀と木戸孝允が会談し、坂本龍馬が仲立ちをしました。
参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata
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