日本史人生シミュレーター

尾形乾山

京焼の陶工・絵師
時代:江戸時代 / 1663年〜1743年(80歳ほど)

何をした人?
江戸時代中期の陶工・絵師で、画家尾形光琳の弟です。京都の呉服商の家に生まれ、野々村仁清に焼き物を学んで鳴滝に窯を開きました。兄光琳が絵を描き乾山が字を書いた合作の器など、絵と文字を生かした自由で品のある焼き物「乾山焼」で知られます。晩年は江戸に移りました。

プロフィール

名前尾形乾山
生没年1663年(寛文3年) – 1743年(寛保3年)
時代江戸時代
出身地山城国京都
別名深省
主な業績
  • 野々村仁清に学ぶ(1689年ごろ)
  • 鳴滝に窯を開く(1699年)
  • 兄光琳との合作
  • 江戸へ移る(1731年)
この人の一生をたどる(自動再生)

歩んだ道

1663年

呉服商の家に生まれる

京都の大きな呉服商・雁金屋の三男として生まれ、権平と名付けられた。兄は、のちに琳派の画家として名を上げる尾形光琳である。雁金屋は大名家や宮中にも出入りする豊かな店で、兄弟は幼いころから美しい着物や工芸品に囲まれて育った。

1687年

父の遺産を受け継ぐ

父が亡くなり、遺言によって屋敷や書物、道具などを兄の光琳と分け合って受け継いだ。派手好きで遺産を早くに使い果たした光琳とは対照的に、乾山は書物を愛し、静かで慎ましい暮らしを好んだと伝わる。性格の違う兄弟だったが、仲はよかった。

1689年

習静堂を構え仁清に学ぶ

仁和寺の南に習静堂という住まいを構え、禅や学問に励んだ。黄檗宗の僧とも交わり、霊海などの号を受けた。近くには京焼の名工・野々村仁清が住んでおり、乾山はやがて仁清から本格的に焼き物づくりを学んだとされる。

1699年

鳴滝に窯を開く

兄弟に目をかけていた公家の二条綱平から、京都北西の鳴滝にある山荘を与えられ、ここに窯を開いた。都の北西、つまり「乾」の方角にあることから「乾山」と名乗り、作品にもこの名を記した。焼き物師としての本格的な出発であった。

1710年

兄光琳との合作

このころ、乾山が器を作り、兄の光琳が絵を描く合作の焼き物が多く生まれた。四角い皿に光琳がのびのびと人物や鳥を描き、乾山が字を添えた作品などが今も残っている。兄弟の才能が一つになった仕事だった。

1712年

町なかへ窯を移す

京都の町なかの二条丁子屋町に移り住み、ほかの窯も使って焼き物を作るようになった。ここでは町の人々に向けた器も多く作り、自由でのびやかな絵付けと素朴な味わいを持つ「乾山焼」は広く好まれ、京焼の一つの流れとなった。

1716年

兄光琳の死

兄の光琳が亡くなった。光琳の絵と乾山の器が組み合わさった兄弟の合作は、ここで終わりを迎えた。乾山はその後も京都で焼き物と絵の制作を続け、やがて新たな土地へと活動の場を広げていくことになる。

1731年

江戸へ移る

上野の寛永寺にいた輪王寺宮公寛法親王に招かれ、江戸の入谷に移り住んだ。江戸でも焼き物を作り、絵や陶芸の弟子を育てた。京都で育てた技と美意識を、新しい町である江戸の人々に伝える役目を果たした。

1737年

下野の佐野で教える

下野国の佐野(栃木県)に招かれて滞在し、土地の人々に焼き物づくりを教えた。のちに昭和時代、佐野で見つかったとされる「佐野乾山」と呼ばれる焼き物が本物かどうかをめぐって、大きな論争が起きたこともある。

1743年

晩年の絵

晩年は焼き物だけでなく絵の制作にも力を入れ、和歌や漢詩を書き添えた落ち着いた作品を多く残した。亡くなった年の作とされる絵も伝わっている。書と絵と器を一つに結ぶ乾山の作風は、のちの琳派の画家たちにも受けつがれた。

1743年

最期

江戸で亡くなった。辞世の歌は「うきこともうれしき折も過ぎぬればただあけくれの夢ばかりなる」と伝わる。子はいなかったが、乾山の名と技は弟子たちに受けつがれ、その名を継ぐ陶工が代々続いた。

この時代に起きたこと

よくある質問

Q. 尾形乾山は何をした人ですか?

A. 江戸時代中期の陶工・絵師で、画家尾形光琳の弟です。京都の呉服商の家に生まれ、野々村仁清に焼き物を学んで鳴滝に窯を開きました。兄光琳が絵を描き乾山が字を書いた合作の器など、絵と文字を生かした自由で品のある焼き物「乾山焼」で知られます。晩年は江戸に移りました。

Q. 尾形乾山はいつの時代の人ですか?

A. 江戸時代の人物です。1663年(寛文3年)に生まれ、1743年(寛保3年)に亡くなりました。

Q. 尾形乾山の出身地はどこですか?

A. 尾形乾山は山城国京都の生まれです。

Q. 「乾山」という名前の由来は何ですか?

A. 乾山が窯を開いた京都の鳴滝が、都から見て北西の方角にあたったためです。北西は昔の方角の呼び方で「乾(いぬい)」といい、そこから「乾山」と名乗り、その名が焼き物の名前にもなりました。

参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata

この人の一生をたどる(自動再生)

関係する人物

尾形光琳酒井抱一

同じ時代の人物(江戸)

大石内蔵助(良雄)市川團十郎(初代)宝井其角徳川家宣荻生徂徠雨森芳洲大岡忠相徳川吉宗

江戸の人物一覧 ・ 時代別の人物一覧

教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。

人物一覧へ