何をした人?
江戸時代後期の絵師・俳人です。姫路藩主酒井家の次男として江戸に生まれ、のちに出家しました。尾形光琳の画風に深く学んで光琳顕彰に努め、江戸の感覚を加えた洗練された画風で江戸琳派を開きました。代表作は、光琳の「風神雷神図屏風」の裏に描いた「夏秋草図屏風」です。
| 名前 | 酒井抱一 |
|---|---|
| 生没年 | 1761年(宝暦11年) – 1829年(文政11年) |
| 時代 | 江戸時代 |
| 出身地 | 江戸の姫路藩酒井家屋敷 |
| 別名 | 鶯村、雨華庵、屠龍 |
| 主な業績 |
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江戸神田の姫路藩の屋敷で、姫路藩酒井家の跡継ぎ酒井忠仰の次男として生まれた。本名は忠因。酒井家は老中や大老を出す名門で、代々文化を好む人が多く、兄の忠以も茶人・俳人として知られた。恵まれた環境で芸術に親しんで育った。
元服して1000石を与えられた。兄に何かあったときの仮の跡継ぎとされることもあったが、兄に長男が生まれるとその役も外れた。他の大名家からの養子の話もすべて断り、家を継がない部屋住みの身で俳諧を馬場存義に学ぶなど芸の道に親しんだ。
このころから浮世絵師の歌川豊春に学び、遊女などを気品ある姿で描いた美人画を手がけた。知り合いの大田南畝が作品に詩を書き添えたものもある。また天明狂歌の仲間とも深く交わり、尻焼猿人などの名で狂歌を詠み、貴公子として一目置かれた。
敬愛する兄の忠以が亡くなった。この年から、自分の俳句を記録する句日記『軽挙館句藻』を書き始め、晩年まで書き続けた。俳諧では江戸の都会的な俳人宝井其角を慕い、その機知に富んだ句風を自分の作品に軽やかに生かしていった。
西本願寺の門主に従って出家し、大名の子にふさわしい高い僧の位を与えられた。理由ははっきりしないが、家の世代交代や寛政の改革の影響があったと考えられる。翌年から抱一と名乗り、武士の身分を離れて芸術に打ち込めるようになった。
抱一の号は、中国の古典『老子』の言葉からとったものである。このころから画家の谷文晁や書家の亀田鵬斎らとの交友が本格的になった。また歌舞伎役者の市川団十郎とも親しく、江戸の文化人たちとの交わりの中で、独自の芸術を育てていった。
敬愛する俳人宝井其角の百回忌に、其角の肖像を百枚描いて其角の句を添え、人々に贈った。これをきっかけに、まもなく百回忌を迎える尾形光琳を強く意識するようになった。酒井家にはかつて光琳が仕えたことがあり、その作品も残されていた。
光琳の子孫の家に問い合わせて系図を調べ、それまでの資料と合わせて、落款や略歴をまとめた『緒方流略印譜』を出した。俵屋宗達から光琳へと続く流れを一つの流派としてとらえる見方を示し、のちの琳派という考え方に大きな影響を与えた。
光琳の没後100年に百回忌の法要を行い、遺した作品の展覧会を開き、その図録『光琳百図』も出した。光琳の名品に触れた抱一は、琳派の華やかな装飾性に、俳句のような軽やかな詩情を加えた独自の画風を築き、江戸琳派の祖となった。
根岸の住まいに「雨華庵」の額を掲げ、弟子たちとともに作品を生み出す工房を整えた。蒔絵師の原羊遊斎と組み、抱一が下絵を描いた蒔絵の器も本格的に作られるようになった。門人には、のちに活躍する鈴木其一らがいた。
このころ、光琳の名作「風神雷神図屏風」の裏面に、風に揺れる秋草と雨にぬれる夏草を銀地に描いた「夏秋草図屏風」を完成させたとされる。風神の裏に風、雷神の裏に雨という見事な対応を見せる、抱一の代表作である。
光琳の弟で陶芸家・絵師の尾形乾山の作品集『乾山遺墨』を出し、乾山の墓の近くに碑も建てた。光琳の墓の修築にも力を貸すなど、先人をたたえる活動を続けた。晩年は「十二か月花鳥図」の連作に取り組み、画業の集大成とした。
文政11年11月(1829年1月)、根岸の雨華庵で亡くなった。墓は築地本願寺にある。抱一が広めた光琳の作品集はのちにヨーロッパにも伝わり、ジャポニスムに影響を与えた。江戸琳派は弟子の鈴木其一らに受け継がれていった。
A. 江戸時代後期の絵師・俳人です。姫路藩主酒井家の次男として江戸に生まれ、のちに出家しました。尾形光琳の画風に深く学んで光琳顕彰に努め、江戸の感覚を加えた洗練された画風で江戸琳派を開きました。代表作は、光琳の「風神雷神図屏風」の裏に描いた「夏秋草図屏風」です。
A. 江戸時代の人物です。1761年(宝暦11年)に生まれ、1829年(文政11年)に亡くなりました。
A. 酒井抱一は江戸の姫路藩酒井家屋敷の生まれです。
A. 抱一が尾形光琳の「風神雷神図屏風」の裏面に描いた作品です。雷神の裏に雨に打たれる夏草、風神の裏に風に揺れる秋草を描き、表の絵と響き合うよう工夫されています。現在は東京国立博物館が所蔵し、重要文化財に指定されています。
参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata
この人の一生をたどる(自動再生)松平定信葛飾北斎華岡青洲山東京伝小林一茶十返舎一九曲亭馬琴高田屋嘉兵衛
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