日本史人生シミュレーター

大内政弘

周防の守護大名・応仁の乱の西軍の主力
時代:室町時代 / 1446年〜1495年(49歳ほど)

何をした人?
室町時代の周防(山口県)の守護大名で、大内氏の当主です。応仁の乱では大軍を率いて西軍の主力として戦いました。山口に宗祇や雪舟などの文化人を迎えて和歌や連歌を楽しみ、山口が「西の京」と呼ばれる文化の都となる基礎を築きました。

プロフィール

名前大内政弘
生没年1446年(文安3年) – 1495年(明応4年)
時代室町時代
出身地周防国
主な業績
  • 応仁の乱で西軍の主力として上洛(1467年)
  • 雪舟を山口に迎える
  • 『新撰菟玖波集』の編さんを支援(1495年)
  • 大内家壁書の整備
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歩んだ道

1446年

山口の大内家に生まれる

周防・長門(山口県)などを治める守護大名・大内教弘の子として生まれた。大内氏は朝鮮半島の百済の王族の子孫を名のる名家で、本拠の山口は京都をまねた町づくりが行われ、のちに「西の京」と呼ばれるほど栄えた。

1465年

19歳で家督を継ぐ

父の教弘が伊予(愛媛県)への出陣中に亡くなり、19歳で家督を継いだ。周防・長門・豊前・筑前などを治める大きな守護大名となったが、すぐに幕府の中の争いに巻きこまれていく。若い当主は、家臣たちをまとめながら難しいかじ取りを迫られた。

1467年

応仁の乱で大軍を率いて上京

将軍家の跡継ぎ争いなどから応仁の乱が起こると、山名宗全の西軍に加わり、中国・九州の兵を集めた大軍を率いて京都に上った。政弘の到着で西軍は勢いを取り戻し、戦いは長引いていった。政弘は西軍の主力として京都で十年近く戦い続けた。

1469年

雪舟を支える

このころ、大内氏の保護を受けていた画僧の雪舟が、明に渡って水墨画を学び、帰国した。政弘は雪舟を山口に迎えて支え、雪舟はここを拠点の一つとして多くの名作を残したと伝わる。大内氏の豊かな財力が、文化人たちの活動を支えていた。

1473年

両軍の大将が亡くなる

東軍の細川勝元と西軍の山名宗全が相次いで亡くなった。それでも戦いは終わらず、政弘は西軍の中心として京都にとどまった。長い戦いで京都の町は焼け野原となり、多くの公家や文化人が都を離れて地方へ逃れた。

1477年

山口へ帰る

幕府と和解し、領国を認められて京都から山口へ引き上げた。政弘の帰国で応仁の乱はようやく終わった。政弘は京都を逃れた公家や僧、文化人を山口に迎え入れ、山口は京都の文化が伝わる地方の文化の中心として栄えていった。

1478年

九州へ兵を進める

北九州で勢力を争っていた少弐氏を攻め、筑前(福岡県)や豊前の支配を固めた。博多の港をおさえることは、明や朝鮮との貿易で大きな利益を得るために欠かせなかった。政弘は大内氏の領国を西日本最大級の勢力へと押し上げた。

1480年

宗祇を山口に迎える

連歌師の宗祇が九州へ向かう旅の途中で山口を訪れ、政弘の歓迎を受けた。政弘自身も和歌や連歌にすぐれ、歌集『拾塵和歌集』を残している。戦に強いだけでなく、深い教養を持った大名として、京都の公家たちからも一目置かれていた。

1485年

家の決まりを定める

このころ、領国を治めるための決まりを次々に出した。これらは大内氏の家法として「大内家壁書」にまとめられ、家臣の行いや町の決まり、商売のきまりなどを細かく定めている。政弘は法によって家臣と領国をしっかり治めようとした。

1494年

家督を義興にゆずる

病が重くなり、家督を息子の大内義興にゆずった。義興はのちに京都に上って将軍を支え、大内氏の最盛期を築くことになる。政弘が整えた領国のしくみと豊かな財力が、その活躍を支える土台となった。

1495年

最期

山口で49歳で亡くなった。この年、宗祇らが編んだ連歌集『新撰菟玖波集』が完成したが、その編集を強く後押ししたのが政弘だった。戦乱の時代に、地方で京都の文化を守り育てた大名として、山口の大内文化の礎を築いた人物とされる。

この時代に起きたこと

よくある質問

Q. 大内政弘は何をした人ですか?

A. 室町時代の周防(山口県)の守護大名で、大内氏の当主です。応仁の乱では大軍を率いて西軍の主力として戦いました。山口に宗祇や雪舟などの文化人を迎えて和歌や連歌を楽しみ、山口が「西の京」と呼ばれる文化の都となる基礎を築きました。

Q. 大内政弘はいつの時代の人ですか?

A. 室町時代の人物です。1446年(文安3年)に生まれ、1495年(明応4年)に亡くなりました。

Q. 大内政弘の出身地はどこですか?

A. 大内政弘は周防国の生まれです。

Q. 大内政弘と雪舟にはどんな関係がありますか?

A. 政弘は画僧の雪舟を保護した大名で、雪舟は大内氏が仕立てた遣明船で明に渡ったといわれます。帰国後も山口を拠点に活動し、山口ゆかりの作品を残しました。政弘の文化への支えが、雪舟の活躍の場を広げたとされます。

参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata

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