日本史人生シミュレーター

雪舟

画僧(水墨画)
時代:室町時代 / 1420年〜1506年(86歳ほど)
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歩んだ道

1420年

誕生

備中(岡山県)の赤浜に生まれた。名は等楊。幼いころ近くの宝福寺に入った。

1430年

涙のねずみ

このころ、絵ばかり描いて修行をしないので柱にしばられたが、床に落ちた涙を足の指でなぞってねずみを描き、和尚を驚かせたという話が伝わる(伝説)。

1440年

相国寺で

このころ京都の相国寺に移り、禅の修行をしながら、絵を天章周文に学んだとされる。周文は幕府に仕える画僧だった。

1454年

周防へ

このころ京都を離れ、周防(山口県)の大名・大内氏のもとへ移った。山口に画室・雲谷庵を構え、「雪舟」と名のるようになった。

1467年

明へ渡る

応仁の乱が始まったこの年、大内氏の遣明船に乗って明(中国)へ渡った。名高い天童山景徳寺で、禅僧として高い位(首座)を与えられた。北京では役所の壁画を描いたと伝わる。

1469年

帰国

中国の自然や名画にふれて帰国した。「中国には師とすべき画家はいなかった。師は中国の山や川そのものだった」と語ったと伝わる。

1476年

天開図画楼

このころ豊後(大分県)に画室「天開図画楼」を開いた。応仁の乱で荒れた京都には戻らず、各地を旅しながら風景を描いた。

1486年

四季山水図巻

66歳で、長さ約16メートルの大作「四季山水図巻(山水長巻)」を描いた。春から冬へ、季節の移り変わりを一続きの絵巻にえがいている。

1495年

破墨山水図

弟子の宗淵が故郷に帰るとき、はなむけに「破墨山水図」を描いて与えた。墨をにじませて一気に描いた作品で、そこに自分の絵の学び方も書き記した。

1501年

天橋立図

このころ、80歳を過ぎて丹後(京都府)の天橋立を訪れ、空から見下ろしたような「天橋立図」を描いたと考えられている。年老いても旅を続け、実際の風景を描いた。

1506年

最期

このころ亡くなったと考えられている(没年・場所は諸説あり)。日本の自然を力強く描いた水墨画は、のちの画家たちに大きな影響を与えた。

この時代に起きたこと

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