何をした人?
幕末の佐賀藩士で、明治時代の政治家です。日本赤十字社を創った人として知られます。蘭学を学び、佐賀藩で蒸気機関や海軍の仕事に取り組みました。パリ万博で赤十字の活動を知り、西南戦争のとき敵味方の区別なく傷ついた兵を救う博愛社をつくり、のちの日本赤十字社の初代社長となりました。
| 名前 | 佐野常民 |
|---|---|
| 生没年 | 1823年(文政5年) – 1902年(明治35年) |
| 時代 | 江戸末〜明治時代 |
| 出身地 | 肥前国佐賀 |
| 別名 | 栄寿 |
| 主な業績 |
|
佐賀藩士・下村家の五男として、肥前国佐賀郡早津江村(いまの佐賀市川副町)に生まれた。幼い名は鱗三郎。筑後川の河口に近い水郷の村で育ち、のちにこの故郷の近くに藩の海軍の拠点がつくられることになる。
佐賀藩の医者・佐野常徴の養子となり、前の藩主・鍋島斉直から栄寿という名を授けられた。医者の家の跡継ぎとして藩校の弘道館で学び、のちに江戸へ出て儒学者の古賀侗庵に学ぶなど、若いころから学問に打ちこんだ。
京都の広瀬元恭に学んだのち、大坂の緒方洪庵の適塾に入り、さらに紀伊の華岡青洲が開いた塾でも外科を学んだ。適塾では大村益次郎ら、のちに明治維新で活躍する多くの仲間と知り合い、西洋の学問への目を大きく開いた。
江戸で伊東玄朴の塾の塾頭を務めたのち佐賀に戻り、藩主の鍋島直正に命じられて、西洋の科学技術を研究する精煉方の責任者となった。からくり儀右衛門と呼ばれた田中久重親子らを藩に推薦し、ともに蒸気機関などの研究を進めた。
幕府がオランダ人を先生として長崎海軍伝習所を開くと、佐賀藩から送られた四十八人の一期生の一人として船の扱いや航海術を学んだ。この経験から、藩主の直正に海軍をつくる必要を説き、自らその責任者となった。
故郷に近い三重津につくられた佐賀藩の三重津海軍所の監督となった。ここでは船の修理や乗組員の訓練が行われ、やがて国産の実用的な蒸気船である凌風丸も造られた。佐賀藩が技術の先進藩と呼ばれる土台を築いた。
佐賀藩の代表としてパリ万国博覧会に参加した。その会場で、敵味方の区別なく傷ついた兵士を助ける国際赤十字の活動を目にし、深く心を動かされた。オランダでは軍艦の建造を注文し、西洋の産業や造船を見て回った。
前の年に湯島聖堂で日本初の官営の博覧会を開いたのに続き、ウィーン万国博覧会の事務副総裁として現地に派遣された。博覧会を通して日本の産業を近代化しようと力をつくし、「博覧会男」というあだ名で呼ばれた。
西南戦争が起こると、敵味方を問わず傷ついた兵士を救うため、大給恒とともに博愛社の設立を政府に願い出た。すぐには認められなかったが、熊本まで出向いて征討総督の有栖川宮熾仁親王に直接願い、ついに許しを得た。
政府の財政を担う大蔵卿に就いたが、翌年の政変で職を辞した。その前年には、日本の美術品が海外へ流れ出すのを防ごうと美術団体の龍池会(のちの日本美術協会)をつくり、会頭として芸術家を守り育てることにも力を注いだ。
博愛社を日本赤十字社と改め、その初代社長となった。同じ年に国際赤十字への加盟も認められた。翌年に磐梯山が噴火すると、戦争ではない災害の被災者の救護にも乗り出し、赤十字の活動を平時にも広げた。
松方正義の内閣で農商務大臣を務め、国の産業を支える役目を担った。その後も日本赤十字社の社長として、日清戦争などで戦地の傷病者の救護にあたる体制づくりを進め、のちに伯爵の位を授けられた。
東京の自宅で亡くなった。故郷の佐賀では「佐賀の七賢人」の一人に数えられ、生まれた地の近くには、三重津海軍所の跡とともに彼の歩みを紹介する歴史館がある。彼が植えた博愛の心は、今も日本赤十字社に受けつがれている。
A. 幕末の佐賀藩士で、明治時代の政治家です。日本赤十字社を創った人として知られます。蘭学を学び、佐賀藩で蒸気機関や海軍の仕事に取り組みました。パリ万博で赤十字の活動を知り、西南戦争のとき敵味方の区別なく傷ついた兵を救う博愛社をつくり、のちの日本赤十字社の初代社長となりました。
A. 江戸末〜明治時代の人物です。1823年(文政5年)に生まれ、1902年(明治35年)に亡くなりました。
A. 佐野常民は肥前国佐賀の生まれです。
A. 1877年の西南戦争で多くの兵が傷つくのを見た佐野常民は、敵味方に関係なく負傷者を救う団体をつくろうとしました。政府はすぐには認めませんでしたが、熊本で指揮をとっていた有栖川宮熾仁親王に直接願い出て許しを得て、博愛社が生まれました。
参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata
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