京都の東山大谷にあった本願寺の、7代目・存如の長男として生まれた。当時の本願寺は小さく貧しい寺だった。
幼いころ、母が寺を去ることになった。母は「この子の代で親鸞聖人の教えを盛んにしてほしい」と願って去ったと伝わる。
青蓮院で出家した。貧しさの中で、親鸞の書物を書き写して学び続けた。
父が亡くなり、42歳で本願寺の8世となった。農民や商人にも分かりやすい言葉で教えを説き、各地の門徒と直接つながった。
勢いをのばす本願寺をきらった比叡山延暦寺の僧兵に、大谷の本願寺を壊された。蓮如は近江などを転々とした。
越前(福井県)の吉崎に御坊を開いた。教えをやさしい手紙「御文」に書いて各地に送り、門徒たちの集まり「講」を広めた。北陸の人々が次々に集まり、吉崎は大きな町になった。
門徒たちが守護大名の争いに巻きこまれて戦うようになったため、争いをいましめつつ吉崎を去った。
京都の山科に新しい本願寺を建て始め、数年かけて大きな寺と町を築いた。
加賀(石川県)の門徒たちが守護の富樫政親を倒し、その後およそ100年間、門徒たちが国を治めた。蓮如は門徒たちの行き過ぎをいましめた。
隠居したあとも布教を続け、大坂の石山に御坊を建てた。のちにここは石山本願寺となり、織田信長と長く戦うことになる。
山科本願寺で84歳で亡くなった。小さな寺だった本願寺を、全国に門徒をもつ大きな教団に育てあげ、「本願寺中興の祖」と呼ばれる。
一条兼良山名宗全日親上杉憲実雪舟宗祇朝倉孝景(敏景)細川勝元
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。