日本史人生シミュレーター

勝海舟

幕臣
時代:江戸末〜明治時代 / 1823年〜1899年(76歳ほど)

何をした人?
幕末・明治の幕臣、政治家です。蘭学と兵学を学び、長崎海軍伝習所で航海術を身につけ、1860年に咸臨丸で太平洋を渡りました。神戸海軍操練所をつくり坂本龍馬らを育て、1868年には幕府側の代表として西郷隆盛と話し合い、江戸城の無血開城を実現しました。明治政府では海軍卿などを務めました。

プロフィール

名前勝海舟
生没年1823年(文政6年) – 1899年(明治32年)
時代江戸末〜明治時代
出身地江戸本所(現在の東京都墨田区)
別名勝麟太郎、勝安芳
主な業績
  • 咸臨丸で太平洋を横断(1860年)
  • 神戸海軍操練所をつくる(1864年)
  • 江戸城の無血開城(1868年)
この人の一生をたどる(自動再生)

歩んだ道

1823年

誕生

江戸の本所で、下級の旗本・勝小吉の子として生まれた。名は麟太郎。

1838年

剣と禅

このころ、剣術を島田虎之助に学び、禅の修行もした。のちの度胸はこのころきたえられたといわれる。

1847年

辞書を写す

蘭学を学び、高価なオランダ語の辞書を借りて、1年かけて2部も書き写したと伝わる。1部は売って生活費にあてた。

1853年

意見書

ペリー来航のとき幕府に出した意見書が認められ、取り立てられるきっかけとなった。

1855年

長崎海軍伝習所

長崎の海軍伝習所でオランダ人から航海術や軍艦の扱いを学んだ。

1860年

咸臨丸

日米修好通商条約の批准のため、咸臨丸を率いて太平洋をわたりアメリカへ行った。福沢諭吉も同じ船に乗っていた。

1862年

龍馬の師

軍艦奉行並となった。坂本龍馬が弟子入りし、日本の海軍づくりを語り合った。

1864年

神戸海軍操練所と西郷

神戸に海軍操練所を開いた。この年、西郷隆盛と初めて会い、西郷に強い印象をあたえた。

1868年

江戸無血開城

戊辰戦争で幕府側の代表として西郷隆盛と話し合い、江戸城を戦わずに明けわたした。江戸の町と人々を戦火から守った。

1873年

海軍卿

明治政府にまねかれ、参議と海軍卿をつとめた。旧幕臣の生活を助けることにも力をつくした。

1887年

伯爵

伯爵となった。晩年は東京の赤坂氷川の家で、訪ねてくる人々に時代についての考えを語った。その話は『氷川清話』にまとめられた。

1899年

最期

東京で亡くなった。「これでおしまい」と言い残したと伝わる。

この時代に起きたこと

よくある質問

Q. 勝海舟は何をした人ですか?

A. 幕末・明治の幕臣、政治家です。蘭学と兵学を学び、長崎海軍伝習所で航海術を身につけ、1860年に咸臨丸で太平洋を渡りました。神戸海軍操練所をつくり坂本龍馬らを育て、1868年には幕府側の代表として西郷隆盛と話し合い、江戸城の無血開城を実現しました。明治政府では海軍卿などを務めました。

Q. 勝海舟はいつの時代の人ですか?

A. 江戸末〜明治時代の人物です。1823年(文政6年)に生まれ、1899年(明治32年)に亡くなりました。

Q. 勝海舟の出身地はどこですか?

A. 勝海舟は江戸本所(現在の東京都墨田区)の生まれです。

Q. 江戸城の無血開城とは何ですか?

A. 1868年、戊辰戦争で新政府軍が江戸へ迫るなか、勝海舟と西郷隆盛が話し合い、戦わずに江戸城を明け渡すことを決めた出来事です。これにより江戸の町は戦火をまぬがれました。

参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata

この人の一生をたどる(自動再生)

関係する人物

ペリー西郷隆盛坂本龍馬福沢諭吉熊沢蕃山佐久間象山松平春嶽(慶永)山岡鉄舟

同じ時代の人物(江戸)

吉田東洋島津久光岩瀬忠震阿部正弘大村益次郎ジョン万次郎楠本イネ河井継之助

江戸の人物一覧 ・ 時代別の人物一覧

教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。

人物一覧へ