イギリスのケント州ジリンガムに生まれた。
このころ、ロンドン近くの造船所で見習いとなり、船づくりと航海術を学んだ。
スペインの無敵艦隊とイギリスが戦ったとき、補給船の船長として加わった。
オランダの船隊に航海士として加わり、アジアを目指して出航した。航海は苦しく、多くの仲間が命を落とした。
リーフデ号は豊後(大分県)に流れ着いた。大坂で徳川家康に会い、ヨーロッパの国々のようすを答えて家康の関心をひいた。
このころ、家康の命令で伊豆の伊東で西洋式の帆船をつくった(年は諸説あり)。
このころ、家康の外交の相談役として旗本となり、相模の三浦に領地をあたえられた。「三浦按針」(按針は水先案内人の意味)と名のり、日本人女性と結婚した。
オランダが平戸に商館を開くのを助けた。
イギリスの船が平戸に来て商館が開かれ、その仕事を手伝った。帰国もできたが、日本に残ることを選んだ。
家康が亡くなり、幕府の外国との貿易への制限が強まると、按針の立場も弱くなった。
平戸で病気のため亡くなった。江戸の屋敷があった所は「按針町」とよばれた。
前田利長細川ガラシャ加藤嘉明細川忠興池田輝政大谷吉継伊達政宗真田幸村(信繁)
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。