近江(滋賀県)に生まれたとされる(生まれた所や年は諸説あり)。
このころ、羽柴秀吉に仕えた。同じく秀吉に仕えた石田三成と親しくなった。
賤ヶ岳の戦いで活躍した。のちに秀吉から「百万の兵を指揮させてみたい」とたたえられたと伝わる。
越前の敦賀に領地をあたえられ、大名となった。戦場での補給や事務の仕事にすぐれていた。
文禄の役で、石田三成らとともに船や兵糧の手配をまかされ、朝鮮にも渡った。
このころから重い病にかかり、顔を布でおおっていたと伝わる。茶会で、まわりが嫌がった吉継の茶を三成が飲みほしたという逸話が伝わる。
徳川家康に味方するつもりだったが、三成から家康を討つ計画を打ち明けられた。勝ち目はないと止めたが、三成の決意を知り、友情から西軍に加わった。
関ヶ原の戦いで、小早川秀秋の裏切りに備えていたが、ほかの部隊も次々と寝返り、軍は総くずれとなった。吉継は戦場で自ら命を絶った。
加藤嘉明細川忠興ウィリアム・アダムス(三浦按針)池田輝政伊達政宗真田幸村(信繁)立花宗茂黒田長政
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。