江戸で、上総の久留里藩の武士の子として生まれた。幼いころから学問にすぐれていた。
父とともに藩を追われ、浪人となって貧しい暮らしの中で学問を続けた。
朱子学者の木下順庵に弟子入りした。
師の推薦で、甲府藩主・徳川綱豊に学問を教える役となった。
綱豊が6代将軍家宣となると、白石は政治の相談役となった。生類憐みの令が廃止され、学問にもとづく政治(正徳の治)が進められた。
日本に密入国したイタリア人宣教師シドッチを取り調べ、西洋のようすを聞いた。のちに『西洋紀聞』を書いた。
朝鮮からの使節(朝鮮通信使)をもてなす費用を減らし、手続きを改めた。
綱吉の時代に質を落とした貨幣を、もとの良い質にもどして物価を落ち着かせようとした。
金や銀が海外に流れ出るのを防ぐため、長崎での貿易の量を制限した(海舶互市新例)。
8代将軍吉宗が将軍になると政治の場を退いた。自分の一生をつづった『折たく柴の記』を書いた。
江戸で亡くなった。歴史や地理、言葉など多くの分野で書物を残した学者だった。
関孝和松尾芭蕉徳川綱吉近松門左衛門尾形光琳柳沢吉保荻原重秀大石内蔵助(良雄)
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。