何をした人?
幕末から明治時代の皇族で、軍人・政治家です。京都の有栖川宮家に生まれ、和宮の婚約者でしたが、和宮が将軍家茂に嫁いだため婚約は解かれました。戊辰戦争では東征大総督として江戸へ進み、のちに元老院議長、左大臣、参謀総長などを務めました。
| 名前 | 有栖川宮熾仁親王 |
|---|---|
| 生没年 | 1835年(天保6年) – 1895年(明治28年) |
| 時代 | 江戸末〜明治時代 |
| 出身地 | 京都 |
| 主な業績 |
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京都で、皇族の有栖川宮幟仁親王の長男として生まれた。有栖川宮家は書道や和歌の家としても知られ、熾仁も幼いころから書や歌に親しんだ。のちに父とともに、すぐれた書の名手として名を残している。
仁孝天皇の養子格となったのに続き、親王の位を与えられ、九州の大宰府の長官である大宰帥に任じられた。この役職から「帥宮」とよばれるようになった。若い皇族として、朝廷の儀式などに加わるようになった。
孝明天皇の妹である和宮との婚約が決まった。和宮はまだ幼く、成長を待って結婚する予定だった。二人の婚約は、皇族どうしの結びつきとして周囲から祝福された。しかしこの約束は、のちに時代の波に大きく揺さぶられることになる。
幕府がアメリカと日米修好通商条約を結ぼうとすると、天皇の許しなく条約を結ぶことに反対する意見を朝廷に差し出した。外国との関係をめぐって朝廷と幕府の考えが大きく食い違う中、熾仁も攘夷を求める立場に立った。
幕府が公武合体のため和宮を将軍徳川家茂の妻に迎えたいと願い出たことで、熾仁と和宮の婚約は解かれることになった。和宮は幕府への降嫁を受け入れ、のちに江戸へ下った。熾仁にとっては、政治によって人生を変えられた出来事だった。
朝廷の政治に関わる国事御用掛となり、長州藩に近い立場で活動した。しかし長州藩が京都で戦いを起こした禁門の変のあと、長州寄りとみなされて、父とともに家にこもって謹慎するよう命じられた。表舞台から遠ざけられる日々が続いた。
明治天皇が位をつぐと謹慎を許された。この年の末、王政復古の大号令で新しい政府が作られると、その最高職である総裁に任じられた。長い謹慎から一転して、新しい国づくりの先頭に立つことになった。
戊辰戦争が始まると、東征大総督として錦の御旗をかかげて江戸へ向かった。勝海舟と西郷隆盛の話し合いを経て江戸城は戦わずに明け渡され、町は戦火をまぬがれた。上野にこもった彰義隊との戦いもあり、熾仁は旧幕府側の抵抗を抑えた。
兵部卿を務めたのち、偽のお札づくりで混乱していた福岡藩の知事となり、のちに福岡県知事・県令として地域の立て直しに力をつくした。この少し前には徳川斉昭の娘・貞子を妻に迎えていたが、貞子は福岡にいる間に病で亡くなった。
法律づくりにかかわる元老院の議官を経て、その議長となった。元老院では、日本の憲法の案を考える仕事も進められた。皇族でありながら新しい国の制度づくりの中心に立ち、政府と天皇を結ぶ大切な役目を担った。
西郷隆盛らが起こした西南戦争で、政府軍を率いる征討総督となった。このとき、敵味方の区別なく傷ついた兵を救う博愛社をつくりたいという佐野常民らの願いを認めた。博愛社はのちの日本赤十字社である。戦後、陸軍大将となった。
朝廷の最高位に近い左大臣に任じられた。明治天皇の深い信頼を受け、政府の重い仕事を任された。妻を亡くしたあと、新発田藩主の家の董子を新たな妻に迎えており、董子はのちに慈善の活動でも夫を支えた。
モスクワで行われたロシア皇帝アレクサンドル3世の戴冠式に、天皇の名代として出席した。帰りにはヨーロッパの国々とアメリカを回り、各国の王室や軍の様子を見て学んだ。この経験は、のちに陸軍の指導者として生かされた。
参謀総長として日清戦争の作戦を指導したが、広島の大本営にいる間に重い病にかかった。兵庫の舞子の別邸で療養したものの、翌年の1月に亡くなった。葬儀は国葬として行われ、多くの人がその死を悼んだ。
A. 幕末から明治時代の皇族で、軍人・政治家です。京都の有栖川宮家に生まれ、和宮の婚約者でしたが、和宮が将軍家茂に嫁いだため婚約は解かれました。戊辰戦争では東征大総督として江戸へ進み、のちに元老院議長、左大臣、参謀総長などを務めました。
A. 江戸末〜明治時代の人物です。1835年(天保6年)に生まれ、1895年(明治28年)に亡くなりました。
A. 有栖川宮熾仁親王は京都の生まれです。
A. 熾仁親王は孝明天皇の妹である和宮と婚約していました。しかし幕府が公武合体のために和宮を将軍徳川家茂の妻に迎えることを望んだため、婚約は解かれました。のちに熾仁親王は東征大総督として、和宮のいる江戸へ軍を進めることになりました。
参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata
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