陸奥の水沢(岩手県奥州市)で生まれ、のちに医者の高野家の養子となった。
江戸に出て、蘭学と医学を学んだ。
長崎のシーボルトの鳴滝塾で学び、すぐれた弟子となった。
シーボルト事件が起こったが、長英は難をのがれた。
江戸で医者を開業した。渡辺崋山らと海外の事情を学ぶ仲間になった。
モリソン号事件を知り、外国船を打ちはらう幕府の方針を批判する『戊戌夢物語』を書いた。
蛮社の獄で捕らえられ、終身の牢に入れられた。
牢の火事のときに逃げ出し、そのまま逃亡生活に入った。顔を薬で焼いて姿を変えたと伝わる。
宇和島藩主の伊達宗城にかくまわれ、西洋の兵学の本を訳した。
江戸にかくれていたところを役人に見つかり、命を落とした(自ら命を絶ったとも、諸説あり)。
宇田川榕菴徳川斉昭江川英龍川路聖謨ハリス藤田東湖島津斉彬横井小楠
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。