日本史人生シミュレーター

藤田東湖

水戸藩の学者・徳川斉昭の側近
時代:江戸時代末(幕末) / 1806年〜1855年(49歳ほど)
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歩んだ道

1806年

誕生

水戸で、学者藤田幽谷の子として生まれた。父は水戸藩の歴史書『大日本史』の編さんにあたる彰考館の学者で、尊王の考えを強く説いた。東湖は幼いころから父の私塾で学び、その思想を深く受け継いだ。

1824年

大津浜事件

水戸藩の大津浜にイギリスの捕鯨船員が上陸する事件がおこった。父幽谷は強く憤り、東湖に外国人を討てと命じたが、船員が帰されたため果たさなかったと伝わる。この出来事は東湖の攘夷の考えを強めた。

1826年

父の死と家督

父幽谷が亡くなり、東湖が家督を継いだ。彰考館で働きながら、父の教えを受けついで学問と藩の政治の両方に関わるようになった。若くして水戸の学問の中心を担う一人となった。

1829年

斉昭の擁立

水戸藩主の跡継ぎをめぐる争いで、東湖らは藩主の弟斉昭を推して奔走し、斉昭が藩主となった。以後、東湖は斉昭のもっとも信頼する家臣として、藩政の改革に深く関わることになった。

1838年

『弘道館記』の起草

斉昭が藩校弘道館をつくるにあたり、その教育の理念を記した『弘道館記』の文案を練った。文武の両立や、国を思う心などを説いたこの文は、水戸学の考えを示すものとして広く知られるようになった。

1841年

弘道館の開館

水戸藩の藩校弘道館が開かれた。学問と武芸、医学なども学べる大きな学校で、東湖は斉昭の改革の中心として、検地や軍備の強化などにもかかわった。水戸藩の改革は全国から注目された。

1844年

斉昭の処分と幽閉

斉昭の急な改革が幕府にとがめられ、斉昭は藩主を退いて謹慎を命じられた。東湖も役を解かれて屋敷に閉じこめられる身となった。苦しい日々の中で、東湖は筆をとって自らの思いを書き続けた。

1846年

幽閉中の著作

幽閉のさなか、『弘道館記述義』や『回天詩史』、漢詩「正気の歌」などを書いた。国を思う熱い気持ちをこめたこれらの作品は、のちに幕末の若い志士たちに広く読まれ、大きな影響を与えた。

1853年

ペリー来航と復帰

ペリーが来航すると、斉昭は幕府の海防参与に任じられ、東湖もこれを助けて江戸で働いた。外国にどう向きあうかが国の大きな問題となる中、水戸の考えは全国の武士たちの注目を集めた。

1854年

西郷隆盛らとの交わり

江戸の東湖のもとには各地の若い武士が訪れた。薩摩の西郷隆盛や越前の橋本左内も東湖に会い、その人柄と考えに強くひかれたと伝わる。東湖は幕末の志士たちにとって師のような存在となった。

1855年

安政の大地震で亡くなる

江戸を大きな地震がおそい、小石川の水戸藩邸も崩れた。東湖は一度外へ逃れたが、母を助けようと家にもどり、落ちてきた梁から母をかばって亡くなったと伝わる。49歳だった。斉昭は深く悲しんだ。

この時代に起きたこと

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