スペイン北部のナバラ王国のザビエル城で、貴族の家に生まれた。
19歳でパリ大学に入り、学問にはげんだ。そこで同じ大学のイグナチオ・デ・ロヨラと出会い、深い影響を受けた。
ロヨラら6人の仲間とともに、パリのモンマルトルで神に一生をささげる誓いを立てた。これがのちのイエズス会の始まりとなった。
ポルトガル王の願いで、アジアでの布教に向かうことになり、リスボンを船で出発した。翌年、インドのゴアに着き、病人の世話をしながら教えを広めた。
東南アジアのマラッカで、日本人のアンジロー(ヤジロウ)と出会った。日本人の知識欲の強さや礼儀正しさを聞き、日本へ行く決心をした。
アンジローの案内で鹿児島に上陸し、日本に初めてキリスト教を伝えた。領主の島津貴久から布教の許しを得て、日本語を学びながら教えを説いた。
平戸や山口を経て、天皇や将軍に布教の許しを得ようと京都をめざした。しかし山口の大内義隆には受け入れられず、冬の旅は厳しいものだった。
戦乱で荒れた京都では天皇にも将軍にも会えなかった。山口に戻り、身なりを整えて贈り物を持って大内義隆に会い、布教を許された。豊後(大分県)の大友義鎮(宗麟)にも歓迎された。この年、日本を離れた。
日本の文化に大きな影響を与える中国での布教をめざしたが、中国本土を目の前にした上川島で病に倒れ、46歳で亡くなった。
北条氏綱斎藤道三太原雪斎毛利元就大内義隆松永久秀北条氏康今川義元
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。