北条氏綱の長男として生まれた。祖父は北条早雲(伊勢宗瑞)である。
15歳で初めて戦に出て、扇谷上杉氏の軍を小沢原で破った。
父の氏綱が亡くなり、26歳で北条家の当主となった。父は「勝って兜の緒をしめよ」など、家臣や民を大切にする心得を書き残したと伝わる。
河越城を囲んだ上杉氏・足利氏の大軍を、はるかに少ない兵で夜に奇襲して大勝した(兵の数は諸説あり)。北条氏が関東の主役となるきっかけとなった。
飢饉や地震で苦しむ農民のために、さまざまな税をまとめて軽くする改革を行った。検地も進め、領国の政治を整えた。
関東管領の上杉憲政を上野から追い出した。憲政は越後の長尾景虎(上杉謙信)を頼り、のちの謙信との長い戦いの原因となった。
武田信玄・今川義元と同盟を結んだ。娘を今川氏真に嫁がせ、子の氏政は信玄の娘を妻にむかえた。
子の氏政に家督をゆずったが、その後も実権をにぎって政治を指導した。家臣の領地と負担を記した「小田原衆所領役帳」を作らせた。
上杉謙信が関東の大名を率いて小田原城を囲んだ。氏康は城にこもって守りぬき、謙信は1か月ほどで引き上げた。
武田信玄が駿河に攻めこんで三国同盟がくずれると、長く争ってきた上杉謙信と手を結んだ。
小田原城で56歳で亡くなった。子の氏政に、ふたたび武田氏と同盟を結ぶよう言い残したと伝わる。北条氏の関東支配を大きく固めた名君とされる。
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毛利元就フランシスコ・ザビエル大内義隆松永久秀今川義元今井宗久武田信玄陶晴賢(隆房)
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。