日本史人生シミュレーター

今川義元

戦国大名(駿河・遠江)
時代:戦国時代 / 1519年〜1560年(41歳ほど)
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歩んだ道

1519年

誕生

駿河(静岡県)の守護大名・今川氏親の子として生まれた。跡継ぎではなかったため、幼くして寺に入り、僧として育てられた。

1530年

雪斎と学ぶ

このころ、師の太原雪斎とともに京都の寺で禅や学問を学んだ。雪斎はのちに義元の軍師・政治顧問として今川家を支えた。

1536年

花倉の乱

兄の氏輝が急に亡くなり、跡継ぎ争いが起きた。義元は兄の玄広恵探と戦って勝ち(花倉の乱)、17歳で今川家の当主となった。

1537年

武田と結ぶ

甲斐の武田信虎の娘と結婚し、武田氏と同盟を結んだ。これに怒った相模の北条氏と争うことになった。

1548年

三河への進出

三河に勢力をのばし、小豆坂の戦いで尾張の織田信秀を破った。翌年には松平家の竹千代(のちの徳川家康)を人質として駿府に迎えた。

1553年

今川仮名目録

父が作った分国法「今川仮名目録」に新しい条文を加えた。将軍の命令ではなく、自分の力で国を治めると書き、戦国大名としての自立をはっきり示した。

1554年

甲相駿三国同盟

武田信玄・北条氏康とたがいに娘を嫁がせ合い、三国同盟を結んだ。背後の心配がなくなり、西へ力を向けられるようになった。

1555年

雪斎の死

師であり頼れる相談役だった太原雪斎が亡くなった。義元は駿府に京都の公家を多く迎え、和歌や蹴鞠など都の文化が栄えた。

1560年

最期

大軍を率いて尾張へ攻めこんだが、桶狭間で休んでいたところを織田信長に奇襲され、命を落とした。駿河・遠江・三河を治め「海道一の弓取り」と呼ばれた大名だった。

この時代に起きたこと

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