室町幕府の役人の家柄である伊勢氏の一族として、備中(岡山県)で生まれたとされる(生年は1432年説もあり、諸説あり)。本当の名は伊勢盛時。「北条早雲」は後の時代の呼び名である。
姉(妹とも)の北川殿は駿河の今川義忠の妻だった。義忠が戦で亡くなり、跡継ぎ争いが起きると、駿河に下って調停にあたったと伝わる。
このころ京都で9代将軍・足利義尚に仕え、申次衆(取り次ぎ役)をつとめた。禅も学んだ。
ふたたび駿河に下り、今川家の実権をにぎっていた小鹿範満を討って、甥の氏親を今川家の当主にした。その功で興国寺城を与えられた。
伊豆の堀越公方・足利茶々丸を攻めて伊豆を手に入れた(年は諸説あり)。家柄ではなく実力で国を奪ったことから、戦国時代の始まりを告げる下剋上の例として語られる。
相模の小田原城を大森氏から奪い、関東進出の足がかりとした(年は諸説あり)。のちに小田原は北条氏5代の本拠となった。
伊豆を平定した。年貢を軽くするなど、領民をいたわる政治を行ったと伝わる。家臣の心得をまとめた「早雲寺殿廿一箇条」は早雲の教えとされる。
三浦半島の三浦氏を新井城でほろぼし、相模をすべて手に入れた。
子の氏綱に家督をゆずった。氏綱の代から北条を名のり、鎌倉時代の北条氏と区別して「後北条氏」と呼ばれる。
伊豆の韮山城で亡くなった。北条氏はこのあと約70年、関東で大きな力をもった。
尼子経久北条氏綱斎藤道三太原雪斎毛利元就フランシスコ・ザビエル大内義隆松永久秀
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。