日本史人生シミュレーター

荻原重秀

元禄の貨幣改鋳を行った勘定奉行
時代:江戸時代 / 1658年〜1713年(55歳ほど)
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歩んだ道

1658年

旗本の家に生まれる

江戸で、旗本の荻原種重の次男として生まれた。家は二百俵ほどの小さな旗本であった。荻原家の先祖は甲斐の武田氏から分かれた一族で、武田家が滅んだあとに徳川家に仕えたという。家柄に頼れない次男坊の重秀は、計算と実務の力で道を切り開いていくことになる。

1674年

最年少で勘定方に

同輩の中で最も若くして、幕府の財政を担う勘定方に加えられ、将軍徳川家綱に初めて会うことを許された。翌年には百五十俵の給与を受けるようになった。数字に強く実務に通じた若者として、早くから上役の目にとまっていたとみられる。

1677年

五畿内の検地

幕府は、太閤検地以来八十年近く行っていなかった畿内の検地を実施した。重秀はその細かな計画を立てた人物と考えられている。地元の代官の妨害を避けるため近くの大名に検地を任せ、勘定所からも調査団を送り、全二十九条の決まりを作ってやり遂げた。この功で褒美を受けた。

1680年

代官制度の改革を提言

検地の結果をふまえ、将軍になったばかりの徳川綱吉や幕府の重臣に、代々その地位を受け継ぐ世襲の代官が多くの弊害を生んでいると訴えた。これを受けて幕府は世襲の代官を退け、代官を役人として任命する仕組みへと改めていった。重秀の提言は幕府の支配を大きく変えた。

1687年

勘定吟味役となる

幕府の財政を監督する重い役職である勘定吟味役(当時は勘定頭差添役)に任命され、給与も土地を与えられる形に改められた。若くして財政の中心に近づいた重秀は、出費が増え続ける綱吉の時代の幕府の台所を、どう立て直すかという難しい課題に向き合うことになった。

1690年

佐渡奉行となる

佐渡奉行に任じられ、翌年には自ら佐渡へ渡った。産出が落ちていた佐渡金山を調べ、坑道にたまった地下水を抜く排水路を掘ることを決めた。同時に島の検地を行って年貢を大きく増やし、その増収分を金山の再建にあてたが、厳しい年貢は農民の怒りを買った。

1695年

元禄の貨幣改鋳

金銀の産出が減る一方で経済が発展し、世の中に出回るお金が足りなくなっていた。幕府の財政も赤字に苦しんでいた。重秀は、慶長の金貨や銀貨をつくり直して金銀の割合を減らし、通貨の量を増やした。政府に信用があれば通貨は通用するという、当時としては新しい考え方によるものであった。

1696年

勘定奉行となる

幕府の財政の最高責任者である勘定奉行に就任し、近江守の位も得た。同じ年、佐渡金山の排水路が完成し、産出はいったん回復した。重秀は長崎貿易からの収入を増やし、酒造りに税をかけるなど、さまざまな方法で幕府の収入を増やそうと努めた。

1697年

旗本の給与を土地に

一定以上の米を給与として受けていた旗本に、米の代わりに土地を与える地方直しを行った。年貢米を運ぶ費用を減らし、収入の多い土地を幕府領に組み入れるねらいがあった。また質入れされた田畑の持ち主が変わることを事実上認めるなど、現実に合わせた政策を進めた。

1703年

元禄地震からの復興

関東を大きな地震がおそい、江戸城とその周りの建物が壊れた。重秀は修理を命じて復興にあたった。その後も東海から南海にかけての宝永地震や富士山の大噴火、京都の大火などの災害が続き、幕府の出費はふくらむ一方であった。財政を預かる重秀の苦労は続いた。

1709年

新井白石との対立

将軍綱吉が亡くなり、跡を継ぐ徳川家宣が代替わりの費用について尋ねると、重秀は財政を救うには貨幣の改鋳しかないと答えた。これに学者の新井白石が強く反対し、二人の対立が始まった。白石は質の落ちた貨幣を国の恥と考え、重秀を何度も厳しく非難した。

1712年

勘定奉行を辞めさせられる

白石は、重秀を辞めさせなければ自分が刺し違えるとまで迫った。病が重くなっていた将軍家宣はついに折れ、重秀は勘定奉行を罷免された。こののち白石は貨幣の質を元に戻す政策を進め、それは正徳の治とよばれる。跡継ぎの子には、わずかな領地の相続だけが許された。

1713年

失意のうちに世を去る

罷免の翌年に亡くなった。食事を絶って自ら命を終えたとも伝わるが、諸説ある。墓は江戸の谷中にある。長く悪い貨幣をつくった人物とされてきたが、近年の研究では改鋳後の物価の上昇は穏やかだったとする見方もあり、信用による通貨という考えを先取りした人物として見直されている。

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