日本史人生シミュレーター

武田信虎

甲斐の戦国大名・武田信玄の父
時代:戦国時代 / 1494年〜1574年(80歳ほど)

何をした人?
甲斐(山梨県)の戦国大名で、武田信玄の父です。若くして家督を継ぎ、争いの続いていた甲斐を一つにまとめ、甲府に躑躅ヶ崎館を築きました。1541年に嫡男の晴信(信玄)によって甲斐を追われ、その後は駿河や京都で暮らしました。

プロフィール

名前武田信虎
生没年1494年(明応3年) – 1574年(天正2年)
時代戦国時代
出身地甲斐国
別名武田信直
主な業績
  • 甲斐の統一
  • 躑躅ヶ崎館の築造(1519年)
  • 今川軍の撃退(1521年)
  • 今川氏との同盟(1536年)
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歩んだ道

1494年

甲斐の守護の家に生まれる

甲斐国(山梨県)の守護・武田信縄の嫡男として生まれた。初めの名は信直。生まれた年は1494年とされることが多いが、1498年とする説もある(諸説あり)。当時の甲斐は、守護の力が弱まり、国衆とよばれる地元の武士たちが争う乱れた国だった。

1507年

若くして家督を継ぐ

父の信縄が亡くなり、まだ少年のうちに武田家の家督と甲斐の守護の地位を継いだ。しかし、叔父の油川信恵がこれに反対して兵を挙げ、甲斐の国衆の多くもそれぞれの側について争った。信直は家の中の争いから戦いの日々を始めることになった。

1508年

武田家をまとめる

勝山城の戦いで叔父の信恵の軍を大きく破り、信恵やその一族の多くが戦死した。これによって、分かれて争っていた武田家は信直のもとにまとまった。続いて郡内(甲斐東部)の小山田氏を従え、妹を小山田信有に嫁がせて結びつきを強めた。

1519年

甲府に躑躅ヶ崎館を築く

それまでの本拠だった石和から、甲府に新しい館を築いて移った。これが躑躅ヶ崎館で、まわりに家臣たちを住まわせ、城下町づくりを進めた。甲府という地名もこのころ生まれたとされる。館の北には、いざというときに逃げこむ要害山城も築いた。

1521年

今川軍を退け、晴信が生まれる

駿河の今川氏の家臣・福島正成が率いる大軍が甲斐に攻め込み、甲府の近くまで迫った。信虎は飯田河原や上条河原の戦いでこれを打ち破った。この戦いのさなかに、要害山城で嫡男の晴信(のちの武田信玄)が生まれたと伝わる。

1522年

甲斐の統一と信仰

今川軍を退けたことで、甲斐の国内はほぼ信虎のもとにまとまった。この年、信虎は家臣とともに身延山久遠寺に参詣し、富士山にも登ったと記録されている。国内の統一を成しとげた力を、まわりに示すためだったとも考えられている。

1528年

周りの国との戦い

甲斐をまとめた信虎は、相模の北条氏や信濃の諏訪氏などまわりの国と激しく争った。この年には信濃の諏訪へ攻め込んだが敗れている。また、甲斐の国内を対象に徳政令を出したと『勝山記』に記されている。戦いの続く中で、国の内外を治めようとした。

1536年

今川氏と手を結ぶ

駿河で今川氏の跡継ぎ争いが起き、今川義元が当主となった。信虎はそれまで争っていた今川氏と手を結び、娘を義元に嫁がせた。前年には諏訪氏とも和睦しており、周りの国との関係を大きく組みかえた。この年、晴信が初めて戦いに出たとされる。

1541年

甲斐を追われる

信濃での戦いから帰った信虎は、娘婿の今川義元に会うため駿河へ向かった。すると嫡男の晴信が国境を閉ざし、信虎は甲斐へ戻れなくなった。重臣たちも晴信を支えた。厳しい政治や重い負担への不満が理由とされるが、くわしいことは諸説ある。

1541年

駿河での暮らし

甲斐を追われた信虎は、今川義元のもとに身を寄せて駿河で暮らした。妻の大井夫人は甲斐に残ったが、信虎は駿河でも子をもうけている。甲斐を継いだ晴信は信濃へ勢力を広げ、のちに武田信玄として名を知られるようになっていった。

1560年

京都へ

桶狭間の戦いで今川義元が敗れて亡くなると、信虎はしだいに京都で過ごすようになった。将軍足利義輝のそばに仕えたとされ、京都の公家や僧とも交わった。甲斐を出てからも、武家の名門の当主だった人物として、都で一定の役割を果たしたと考えられている。

1574年

信濃の高遠で亡くなる

信玄が亡くなった翌年、信虎は孫の武田勝頼の領国である信濃の高遠に移り、そこで亡くなった。息子の信玄よりも長く生き、30年以上ぶりに武田家の領地へ戻っての最期だった。甲府の大泉寺に葬られ、今も墓所がある。

この時代に起きたこと

よくある質問

Q. 武田信虎は何をした人ですか?

A. 甲斐(山梨県)の戦国大名で、武田信玄の父です。若くして家督を継ぎ、争いの続いていた甲斐を一つにまとめ、甲府に躑躅ヶ崎館を築きました。1541年に嫡男の晴信(信玄)によって甲斐を追われ、その後は駿河や京都で暮らしました。

Q. 武田信虎はいつの時代の人ですか?

A. 戦国時代の人物です。1494年(明応3年)に生まれ、1574年(天正2年)に亡くなりました。

Q. 武田信虎の出身地はどこですか?

A. 武田信虎は甲斐国の生まれです。

Q. 武田信虎はなぜ甲斐を追われたのですか?

A. 1541年、娘婿の今川義元に会うため駿河へ向かったところ、嫡男の晴信(のちの信玄)が国境を閉ざし、重臣たちも晴信を支えたため甲斐に戻れなくなりました。厳しい政治や戦いによる重い負担への不満が理由とされますが、くわしいことは諸説あります。

参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata

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