日本史人生シミュレーター

徳川家治

江戸幕府10代将軍
時代:江戸時代 / 1737年〜1786年(49歳ほど)

何をした人?
江戸幕府の10代将軍です。9代将軍徳川家重の長男として江戸城に生まれ、祖父の吉宗にかわいがられて育ちました。1760年に将軍となり、田沼意次を重く用いて政治を任せました。治世の終わりには浅間山の噴火と天明の飢饉が起こり、跡継ぎの家基を失う悲しみもありました。

プロフィール

名前徳川家治
生没年1737年(元文2年) – 1786年(天明6年)
時代江戸時代
出身地江戸城
主な業績
  • 10代将軍となる(1760年)
  • 田沼意次を老中に取り立てる(1772年)
  • 家斉を養子に迎える(1781年)
  • 天明の飢饉に直面する(1783年)
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歩んだ道

1737年

西の丸で生まれる

のちの9代将軍徳川家重の長男として、江戸城西の丸で生まれた。幼い名は竹千代。祖父の8代将軍吉宗は、利発な孫の誕生を大いに喜んだと伝わる。言葉が不自由だった父に代わり、将来の幕府を担う子として期待を集めた。

1741年

祖父吉宗に学ぶ

元服して家治と名のった。祖父の吉宗は孫を手元でかわいがり、自ら学問や武芸を教えたと伝わる。書や乗馬、弓などを熱心に学び、跡継ぎとしての心構えを身につけていった。祖父への敬愛は生涯変わらなかった。

1751年

祖父吉宗の死

敬愛する祖父の吉宗が亡くなった。吉宗は享保の改革で幕府の財政を立て直した将軍で、家治に将軍としての心得を伝え残したと伝わる。このころ、父の家重はすでに9代将軍となっており、家治は世継ぎとして西の丸で暮らしていた。

1754年

五十宮倫子と結婚する

京都の閑院宮家から迎えた五十宮倫子と結婚した。夫婦仲はとてもよく、家治は側室をほとんど置かなかったことで知られる。二人の間には娘が生まれた。歴代の将軍のなかでも、妻を大切にした人物として語られている。

1760年

10代将軍となる

父の家重が将軍を退き、10代将軍となった。父は田沼意次を「正直な者だから大切に使うように」と言い残したと伝わり、家治はその言葉を守って意次を重く用いた。家治自身は政治の多くを信頼する家臣に任せ、将棋や絵に親しんだ。

1762年

跡継ぎ家基の誕生

側室のお知保の方との間に、長男の家基が生まれた。家基は聡明で武芸にも優れ、将来を期待された。家治は跡継ぎの誕生を喜び、成長を楽しみにした。この子に寄せた大きな期待は、のちに深い悲しみへと変わることになる。

1772年

田沼意次を老中に

側用人として仕えていた田沼意次を老中に取り立てた。意次は商人の力を生かし、株仲間を認めて税を集めたり、蝦夷地の開発を考えたりする新しい政治を進めた。この時代を田沼時代という。この年には江戸で大火事も起きた。

1779年

家基の急死

跡継ぎの家基が鷹狩りの帰りに急に具合が悪くなり、そのまま亡くなった。家治は深く悲しみ、長くふさぎこんだと伝わる。期待をかけていた子を失ったことは、将軍家の跡継ぎ問題を大きく揺るがした。

1781年

家斉を養子に迎える

一橋家の豊千代を養子に迎え、跡継ぎとした。のちの11代将軍家斉である。この養子選びには、一橋家と結びつきの深かった田沼意次が関わったとされる。こうして将軍家の血筋は、吉宗の流れをくむ一橋家へと受け継がれていった。

1783年

浅間山の噴火と天明の飢饉

浅間山が大噴火し、冷夏も重なって天明の飢饉が東北を中心に広がった。多くの人が飢えに苦しみ、各地で百姓一揆や打ちこわしが起きた。米の値段が上がり、商人と結びついた田沼の政治への不満が高まっていった。

1784年

田沼意知の死

田沼意次の子で若年寄の意知が、江戸城の中で旗本の佐野政言に斬りつけられ、その傷がもとで亡くなった。町の人々の中には政言を「世直し大明神」とたたえる者もいた。田沼の勢いは、この事件を境に大きくかげり始めた。

1786年

将軍家治の最期

病のため江戸城で亡くなった。死因は脚気ともいわれ、亡くなった日付にも諸説ある。その直後、後ろ盾を失った田沼意次は老中を退かされた。家治は将棋の名手としても知られ、自ら作った詰将棋の作品集が今も伝わっている。

この時代に起きたこと

よくある質問

Q. 徳川家治は何をした人ですか?

A. 江戸幕府の10代将軍です。9代将軍徳川家重の長男として江戸城に生まれ、祖父の吉宗にかわいがられて育ちました。1760年に将軍となり、田沼意次を重く用いて政治を任せました。治世の終わりには浅間山の噴火と天明の飢饉が起こり、跡継ぎの家基を失う悲しみもありました。

Q. 徳川家治はいつの時代の人ですか?

A. 江戸時代の人物です。1737年(元文2年)に生まれ、1786年(天明6年)に亡くなりました。

Q. 徳川家治の出身地はどこですか?

A. 徳川家治は江戸城の生まれです。

Q. 徳川家治と田沼意次はどんな関係ですか?

A. 家治は、父の家重の代から仕えていた田沼意次を信頼し、側用人から老中へと取り立てて政治を任せました。意次は商業を重んじる政策を進めましたが、家治が亡くなると間もなく老中を退くことになりました。

参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata

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