何をした人?
江戸幕府の最後の将軍(15代)です。水戸藩主・徳川斉昭の子に生まれ、一橋家をついで将軍後見職などを務めたのち、1866年に将軍となりました。1867年に大政奉還を行って政権を朝廷に返し、翌年の鳥羽・伏見の戦いのあと江戸へ戻って謹慎しました。明治以降は静岡で趣味に生き、1913年に亡くなりました。
| 名前 | 徳川慶喜 |
|---|---|
| 生没年 | 1837年(天保8年) – 1913年(大正2年) |
| 時代 | 江戸末〜大正時代 |
| 出身地 | 江戸小石川の水戸藩邸(現在の東京都文京区) |
| 別名 | 一橋慶喜、七郎麻呂(幼名) |
| 主な業績 |
|
水戸藩主・徳川斉昭の七男として江戸で生まれ、水戸できびしく育てられた。
将軍家の親類である一橋家を継いだ。かしこさが評判となった。
13代将軍の跡継ぎ候補におされたが、井伊直弼らが徳川慶福(家茂)に決めた。翌年、安政の大獄で謹慎を命じられた。
許されて将軍家茂を助ける将軍後見職となり、京都で朝廷との交渉にあたった。
京都を守る役につき、禁門の変で長州軍と戦った。
家茂が亡くなり、15代将軍となった。フランスの助けを借りて、軍隊や政治の改革を進めた。
京都の二条城で、政権を朝廷に返すことを発表した(大政奉還)。約260年続いた江戸幕府はここに終わった。その後、朝廷は王政復古の大号令を出した。
鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が敗れると、大坂から船で江戸に戻った。新政府に従う姿勢を示し、上野の寛永寺で謹慎した。
謹慎がとけたあと、静岡で30年近く静かに暮らした。写真や狩り、自転車などの趣味を楽しんだ。
東京に移り住み、翌年には明治天皇と会った。のちに公爵となった。
東京で76歳で亡くなった。江戸幕府最後の将軍として、明治・大正の世を見届けた。
A. 江戸幕府の最後の将軍(15代)です。水戸藩主・徳川斉昭の子に生まれ、一橋家をついで将軍後見職などを務めたのち、1866年に将軍となりました。1867年に大政奉還を行って政権を朝廷に返し、翌年の鳥羽・伏見の戦いのあと江戸へ戻って謹慎しました。明治以降は静岡で趣味に生き、1913年に亡くなりました。
A. 江戸末〜大正時代の人物です。1837年(天保8年)に生まれ、1913年(大正2年)に亡くなりました。
A. 徳川慶喜は江戸小石川の水戸藩邸(現在の東京都文京区)の生まれです。
A. 1867年、徳川慶喜が政権を朝廷に返すと申し出て認められた出来事です。土佐藩の山内容堂らのすすめによるもので、これにより江戸幕府の政治は終わり、続いて王政復古の大号令が出されました。
参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata
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