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徳川慶喜

江戸幕府の15代(最後の)将軍
時代:江戸末〜大正時代 / 1837年〜1913年(76歳ほど)

何をした人?
江戸幕府の最後の将軍(15代)です。水戸藩主・徳川斉昭の子に生まれ、一橋家をついで将軍後見職などを務めたのち、1866年に将軍となりました。1867年に大政奉還を行って政権を朝廷に返し、翌年の鳥羽・伏見の戦いのあと江戸へ戻って謹慎しました。明治以降は静岡で趣味に生き、1913年に亡くなりました。

プロフィール

名前徳川慶喜
生没年1837年(天保8年) – 1913年(大正2年)
時代江戸末〜大正時代
出身地江戸小石川の水戸藩邸(現在の東京都文京区)
別名一橋慶喜、七郎麻呂(幼名)
主な業績
  • 江戸幕府15代将軍となる(1866年)
  • 大政奉還(1867年)
  • 約260年続いた江戸幕府を終わらせる
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歩んだ道

1837年

誕生

水戸藩主・徳川斉昭の七男として江戸で生まれ、水戸できびしく育てられた。

1847年

一橋家を継ぐ

将軍家の親類である一橋家を継いだ。かしこさが評判となった。

1858年

将軍の跡継ぎ争い

13代将軍の跡継ぎ候補におされたが、井伊直弼らが徳川慶福(家茂)に決めた。翌年、安政の大獄で謹慎を命じられた。

1862年

将軍後見職

許されて将軍家茂を助ける将軍後見職となり、京都で朝廷との交渉にあたった。

1864年

禁門の変

京都を守る役につき、禁門の変で長州軍と戦った。

1866年

15代将軍

家茂が亡くなり、15代将軍となった。フランスの助けを借りて、軍隊や政治の改革を進めた。

1867年

大政奉還

京都の二条城で、政権を朝廷に返すことを発表した(大政奉還)。約260年続いた江戸幕府はここに終わった。その後、朝廷は王政復古の大号令を出した。

1868年

鳥羽・伏見の戦い

鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が敗れると、大坂から船で江戸に戻った。新政府に従う姿勢を示し、上野の寛永寺で謹慎した。

1869年

静岡での暮らし

謹慎がとけたあと、静岡で30年近く静かに暮らした。写真や狩り、自転車などの趣味を楽しんだ。

1897年

東京へ

東京に移り住み、翌年には明治天皇と会った。のちに公爵となった。

1913年

最期

東京で76歳で亡くなった。江戸幕府最後の将軍として、明治・大正の世を見届けた。

この時代に起きたこと

よくある質問

Q. 徳川慶喜は何をした人ですか?

A. 江戸幕府の最後の将軍(15代)です。水戸藩主・徳川斉昭の子に生まれ、一橋家をついで将軍後見職などを務めたのち、1866年に将軍となりました。1867年に大政奉還を行って政権を朝廷に返し、翌年の鳥羽・伏見の戦いのあと江戸へ戻って謹慎しました。明治以降は静岡で趣味に生き、1913年に亡くなりました。

Q. 徳川慶喜はいつの時代の人ですか?

A. 江戸末〜大正時代の人物です。1837年(天保8年)に生まれ、1913年(大正2年)に亡くなりました。

Q. 徳川慶喜の出身地はどこですか?

A. 徳川慶喜は江戸小石川の水戸藩邸(現在の東京都文京区)の生まれです。

Q. 大政奉還とは何ですか?

A. 1867年、徳川慶喜が政権を朝廷に返すと申し出て認められた出来事です。土佐藩の山内容堂らのすすめによるもので、これにより江戸幕府の政治は終わり、続いて王政復古の大号令が出されました。

参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata

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